リチャード・キャドリー:サンドマン・スリムと天使の街

サンドマン・スリムと天使の街 (ハヤカワ文庫FT)

サンドマン・スリムと天使の街 (ハヤカワ文庫FT)

11年間「地獄」で地獄のような暮らしをしていた男がロサンジェルスに舞い戻り、自分を地獄にたたき落とした人々に復讐を行うはなし。


物語は主人公が突然「地獄」から舞い戻る場面からはじまるのですが、当然のことながらここでの「地獄」とは何らかのメタファーだと思って読みはじめました。例えばひどい待遇の刑務所とか、戦場とか。ところが、読み進めていくうちにこれはどうやら本当の「地獄」のことらしい。ルシファーさんを頂点に4人の悪魔が牛耳る、あの地獄のことなのです。それがわかった瞬間に、それまでのハードボイルド風というか、極めてサスペンス調の文章が一気に突き崩され、なんだかわけのわからない世界として物語が立ち現れ始め、すっかり心奪われてしまいました。


そもそもあんまり内容を確認しなかったのが良かった(悪かったかも…)のですが、本書を手に取った理由は帯にウィリアム・ギブスンが「この20年間に読んだなかで最高のB級映画である」とコメントしていたからです。確かに、極めて清く正しいB級テイストに溢れた本書は、読んでいて頭が悪くなってしまいそうなくらいハチャメチャな展開を見せるのだけれども、最後まで物語が崩れず成立しているのが不思議です。この手のいわゆる「ファンタジー」系の小説って、作者が任意に設定するお約束やガジェット、不思議な単語たちがデリカシー無く踊り狂い、まったく物語としての枠組みを失ってしまうことが多いのだけれど、本書はなぜか物語としての枠組みと、そのなかでの登場人物たちの振る舞いが抑制的で、その内容の支離滅裂さを感じさせない力強さを感じさせます。


その理由は、おそらく主人公のハードボイルドながら極めて小市民的な思いの吐露にあるような気がします。主人公は昔自分を謀った一団の一人の首を切り取り(しかもなぜか生きている)、クローゼットの上段に小型テレビといっしょに放置するようなとても陰湿な人なのですが、ある怪人的な登場人物と危機的な遭遇を経験し、絶体絶命の危機をなんとか乗り越えて自宅に戻った次の朝、シャワーを浴びながらこんな事を考える。
「シャワーは失神しそうなほど気持ちよかった。こんなささいなことが、いまもゾクゾクするほどうれしい。これが敬虔な人間なら、ささいな楽しみに喜びを感じるのは、これまで洞穴に住み、週に一度オートミールがゆを食べる、改悛した聖人のような生活をおくったからだと思うだろう。だが、おれはそんなタイプじゃない。単純に気持ちいいことがうれしいだけだ。恥をしのんで言えば、おれは今きれいな靴下をはくときが一番ワクワクする。」
この、地獄から帰還した人とは思えない小市民さ!このあたりが、物語にえもいわれぬ「深み」(かな?)を与えているような気がします。またおわかりのごとく、翻訳もとっても素敵です。あんまり内容を確認しなくてほんとうに幸運でした。