小林恭二:麻布怪談

麻布怪談

麻布怪談

国学を勉強したいと思い、親を謀って大阪から江戸に移り住んだ儒学者の息子にして不惑を前にした真原善四郎は、その企みが父の知るところになり下宿先をおんだされ、麻布の人里離れたくさむらの中の一軒家で生活を始めることとなる。そこに、不思議に妖艶なる女やよんどころない出の姫君とおぼしき人々がいつの間にか出入りを始め、同時に善四郎の周囲に怪異なる現象が発現し始める。


小林恭二氏の久しぶりの長編、とても楽しめました。このお話しは、言ってしまえばニート状態にあり、しかも財政的には不安をもたない中年男性(妻と死別経験あり)のもとに、なぜか美しい女性があらわれてもてもてラッキーな感じになるのだけれども、その女性たちが一人は狐の化けたもの、一人は幽霊と、すさまじいバックグラウンドを持っていましたというもの。展開としてはのんびりとした善四郎の生活のなかで、その二人の女性のかなり波瀾万丈な生き様が語られます。この、深閑とした雰囲気のなかの異常さ加減がまずとても面白い。


さらに、やはり小林氏と言えば、その文章の流麗さ、ことば遣いの美しさにその本領があると思いますが、本作でもその技はいかんなく発揮され、意外と現代風な語り口の中に、舞台とされた時代がしっとりと映し込まれる様は、これはもう肉感的なる妖艶さを漂わせるといっても過言ではないように感じます。


僕が小林氏の小説を始めて読んだのは、たしか中学生のころか。「電話男」「小説伝」など、最初期の頃はメタフィクショナルというか、今から思えば極めて上手にポストモダンを取り込みつつも、物語の醍醐味を失わない現代的な作家のように思えました。その後短歌に関する著作を多数手がけられた後、「カブキの日」で突然中世的なる世界での物語を発表、ガツンと頭を叩かれるような、強烈な感動に襲われたことを今も憶えています。この作品も「カブキ」にも似た幽玄な世界が描かれるのだけれども、よりものがたりは落ち着き、しっとりとした心のありかたを感じさせます。これもまた、爽快にして妖艶、豊かな読書体験でした。