須賀敦子:ユルスナールの靴

こんな一文から始まる。


「きっちり足にに合った靴さえあれば、じぶんはどこまでもあるいていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出合わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのいのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。」


ぼくはこの本の記録を、書こうと思って書くことができませんでした。でも、ぼくはこの本がとっても素敵だと思う。そのため、ちょっと時間をおいて、もう一度読んでみました。そして、こんなことを考えた。


まず、きわめて建築的な物語だと思います。ユルスナールを通じてハドリアスヌ帝に思いをはせる著者は、ギリシャの遺構を中心にことばを漂わせます。そのことばは、建築的な世界をこえて、先の見えない不思議な世界にぼくたちを誘うというか、迷いさせるというか。


もう少し普通に読めば、本書はユルスナールを様々な場所にちりばめながら、なにか須賀敦子の世界をこれでもか、というくらいに語った本だと思われます。文章は、極めて静謐なおもむきをただよせながら、視点はあちらこちらにとびかい、そこから作り出される世界は、異世界というにふさわしい斬新な切れ味を感じさせます。でも、面白いことそれが須賀敦子の文章のよいところではないのだなあ。


エッセイなのだけれども、これはほぼ創作だと思います。この美しさ、この美しさ、この美しさ。ぼくは、彼女のことばひとつひとつを追い続けることに、大きな喜びを感じてなりません。ところであんまり感動したので母に「須賀敦子って素敵な人を発見したよー」って言ったら、「あんた知らなかったの。わたしはトリエステまで行ったのよ」と返されました。まあ、いろんな意味で素敵な作家だと思います。