湯浅誠:どんとこい、貧困!

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

「貧困」とはなにかということ、そしてその「貧困」を水面下に押し込めてしまおうとする言説のありかたを、極めて鮮烈にえぐりだしたもの。


構成としては、「貧困」に対する様々な批判的意見に応答する前半と、「貧困」の生まれ出る仕組みとそうならないためのアイディアを綴った後半からなります。まず、この前半部分がとにかく強烈。例えば「もっとがんばれば仕事くらいみつかったんじゃないの?」という問いかけに、湯浅氏は以下のように答えます。


「たしかにそうかもしれない。もっとがんばれば、もっとがんばれば……。がんばればなんだって、できないことはないはずだ。でもそれって、どれだけがんばればいいんだろうか?「そんなにすごくがんばらなくったって、ちょっとがんばればみつかったはず」?それは、誰にとっての「ちょっと」だろうか?」


このような問いかけから、「がんばる」ことのスタートラインが人によって、また時期などによって異なってしまうこと、それはつまり「がんばるための条件」が状況によって様々であり、上記のような問いかけは一概に成立しないことを説きます。このような問答の積み重ねの中から見えてくるのは、いま「貧困」の状況にある人は、すでにとてもがんばってしまいこれ以上どうしようもないくらいのところまで来てしまっていること、そしてそのような状況を「上から」見据える視線は、社会をとても嫌なものにしてしまうことを主張します。


後半部分では、それではどうすればよいのだろうかということが主題となりますが、ここでは主に自分の体験が語られます。共働きのいわゆる中流家庭にそだったこと、兄が身体障害者であったこと、東大に入学したこと、ホームレス状態の人々と関わるようになったこと、そして活動家として「社会」に生きると言うこと。これらのことが、とても単純でわかりやすいことばで語られながら胸を突くような重みを感じさせるのは、ひとえにすべての言葉が著者の「実感」をもって語られるからだと感じます。おそらくこれらのことば(そして前半の問答)は、現場でのホームレス状態の人々とのやりとりのなかで幾度も挫折を経験しながら練り上げられてきたとしか思えません。そして、その素朴かつまっすぐなことばは、本書の主張をまっすぐと僕の心にたたき込んでくれました。「はい、ぼくも明日から「活動家」になりまーす」とか、うっかり言ってみたくなる一冊です(「活動家」の定義は本書参照のこと)。