アリアナ・フランクリン:エルサレムから来た悪魔 上・下

エルサレムから来た悪魔 上 (創元推理文庫)

エルサレムから来た悪魔 上 (創元推理文庫)

エルサレムから来た悪魔 下 (創元推理文庫)

エルサレムから来た悪魔 下 (創元推理文庫)

十字軍がイスラム世界を荒らしまわっていた12世紀初頭、イギリスのケンブリッジで子供が惨殺される事件が相次いで発生する。街の人々はユダヤ人の仕業だとしてユダヤ人市民を虐待するのだが、時の王ヘンリー二世は大事な収入源が迫害されるとして激怒、街の住人をたきつける教会ともども、なんとかせねばと思案する。そんなとき、突然イタリアからユダヤ人の調査官と女性の検死医、そしてサラセン人の召使いが現れ、事件の細部を調査し始める。


ピーター・トレメインの修道女フィデルマシリーズ的な良さに包まれる、とても繊細で美しい物語でした。中世を舞台にしたものにしてはめずらしく、その頃に生じていたであろう悪臭の描写も事細かに解説され、事件の残虐さと相まって極めて陰惨な画面が展開されているはずなのですが、読んでいる感じは極めて穏やかな、とても心地よい雰囲気を感じさせるものでした。それは、おそらく本書のもつ極めてリベラルな政治性に起因すると思われます。だいたい、12世紀初頭に本当に十字軍に対してこのような批判的態度をとることができたのだろうか。ヘンリー二世の懐刀の税官吏は、十字軍に派遣されながらもトラウマ的記憶を背負ってイギリスに帰ることになります。しかし、このような批判的な見方は、極めて現代的なのではないかな。本当のところは(知識が無いので)わかりませんが、少なくとも本書が中世の世界を材に取りながら、極めて現代的な視点を保持していること、そしてそのなかに、鋭い批判精神と繊細なまなざしを持つことを、読んでいるあいだ強く感じさせられました。


しかしまあ、著者の筆の運びは見事なものです。書き込むところは徹底的に書き込み、抽象的な表現ですませるところはばっさりと切り捨てる。この描写の取捨の鮮やかさが、おそらく本書の意外と賑やかな語り口を作り上げているように思います。でも、ほんとうに当時の検死医はこんなに高い精度を持った検死ができたのかなあ。などと思わせるあたりのうさんくささが、またとても気持ちよいのです。