山田正紀:イリュミナシオン 君よ、非情の河を下れ

イリュミナシオン 君よ、非情の河を下れ

イリュミナシオン 君よ、非情の河を下れ

パウロや阿修羅、ヴェルレーヌエミリー・ブロンテたちが「酩酊船」に乗り込み、「性愛船」の妨害をかいくぐりながら「結晶城」から「非情の河」を下るはなし。


はじめはアフリカの某国にまつわる政変にまきこまれた日本人外交官の物語として始まる本書は、読めば読むほど内容は拡散し、序盤戦から中盤にさしかかると、もはや何のはなしなのかさっぱりわからなくなります。まあ、非情に山田正紀氏らしい展開なので安心して読み進むと、物語の脈絡はどんどんと失われ、最後に至っては物語がどのように収束したのかすらわからない。この力強さは、やっぱり山田正紀氏ならではのものなのです。


でも作者がいったいなにを考えてこんな奇天烈な小説を書こうと思ったのか、気になってしまったので真ん中過ぎたあたりで後書きを読むと、どうやら最初山田氏は「ハイペリオン」に刺激されて、そのうなものを書きたかったらしい。そこでなぜかランボーの詩集に出会ってしまい、ハイペリオンランボーの世界が融合されたあげく、「ワイドスクリーン・バロック」を書きたいという、これまたどこから出てきたのか良くわからない欲求とないまぜになって、このような奇書が生まれたようです。たしかに、ハイペリオンみたいだしワイドスクリーン・バロック的な要素も感じられます。でも、全体の感想としてはランボーの「アフリカ書簡」とエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読んでみたいという気持ちが一番強く残りました。まあ、誰にでも面白いかと言えば絶対にそうとは言えない本ですが、少なくともぼくはとても楽しめました。なんといっても文章の切れ味は最高、全編にさしはさまれたペダンティックな記述も決していやらしくなく、またその振れ幅の大きさにはほんとうに驚嘆させられます。しかし、おそらく狙っているのではなく、書きたいものを書いているだけなのだろうなあ。さすが巨匠です。