飯尾潤:日本の統治構造 官僚内閣制から議院内閣制へ

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)

まず「議院内閣制」の本来の姿を説明した上で、日本の行政・立法システムが「議院内閣制」ではなく「官僚内閣制」であることを説明し、その後多彩な分析と国際比較から、今後の日本の政治・行政のあり方について提言したもの。

おそろしく堅苦しいタイトルと装丁とは裏腹に、読んでいてどんどん引き込まれてしまう、とても刺激的な一冊でした。なにが楽しいって、筆者の恐ろしいまでの冷静で多角的な視点によって、いままであたりまえ、もしくはそのようなものだと思っていた政治と法律、行政のありかたが、ことごとく覆されてゆくことです。本書は、発表当時(2007年7月)における政治と行政のシステムが、どのような変遷をたどりまたどのような流れの中にあるのか、極めてマクロ的な視点ながらも、注意深く読み解いてゆきます。そこでの鍵となる考え方は、あまり適当ではないかも知れませんが、目に見える政治と行政のありかたよりは、日本や他の国々の政治と行政システムに関わる歴史のように思いました。本書は「官僚内閣制」と現状を批判的に捉えつつも、決して官僚をむやみに批判するわけでも、これまでの政治のあり方を全否定するわけでもありません。むしろ、例えばリクルート事件を端を欲する政治改革がどのようなものであったのか、それがその後の様々な政治的混乱の中でどのように展開したのか、そして小泉内閣によってどのように整理されたのか、なぜこんなに?と思うほど分かりやすく説明されます。そのためには、おそらく様々な情報の、綿密かつ慎重な取捨選択があったことが伺えます。例えば小泉内閣に対して、筆者は行政改革の推進という点から高い評価を下しているように思えます。これが普通の批評家だったら、新自由主義批判と格差拡大の大合唱だと思うのですが。しかも、その評価は小泉内閣そのものではなく、小泉内閣が時代の要請の中で果たした役割について、下されているものと読み取れます。つまり、政治の流れのなかでたまたま小泉内閣が果たしてしまった役割を、極めて冷静に見つめているように思えるのです。その結果が今回の政権交代につながったことさえ、著者の射程に含まれているような本書の立場を考えると、多少論理は飛躍しますが、著者は先日の政権交代をある意味予言する形で、本書の出版時である2007年夏までの政治の流れを読み解いている。これは、本書の優れて先験的な性質を、端的に表していると言っても良いでしょう。出版元が中公文庫でなくて、またぼくが不真面目な編集者であれば、「実録!日本政治の裏側を描く」とか「日本政治の脱構築と再生」とか、不必要に扇情的なタイトルをつけて売り出したい。それくらい、多くの人に読まれるべき本だと感じました。