ロバート・A・ハインライン:夏への扉 新訳版

夏への扉[新訳版]

夏への扉[新訳版]

友人の共同事業者たちに裏切られた発明家の主人公は、腹いせに未来へとコールドスリープを予約するが、すんでのところで思いとどまり、裏切った二人を難詰する。そこで思わぬ事態が勃発し、主人公は結局30年のコールドスリープを行う羽目になる。目覚めた先で、彼は自分をこんな事態に陥れたひとびとや財産を信託した親戚を捜し求めるのだが、予想外の出来事が発生し、なんだかよくわからなくなってきてしまうはなし。

懐かしいなあ。。旧訳版で読んだのは、おそらくぼくが中学生のころでした。明るい扉に向かって猫が歩いてゆくその後ろ姿に惹かれ読んだらとても面白く、かといって後になってみると猫の表紙しか憶えていないという、不思議な小説でした。でも、素晴らしかったことはわすれられない。新訳版が出て、なおかつやっぱり表紙は猫の絵だったので、少しの不安と大きな期待を持って読んでみたのですが、これがまた、相変わらず面白い。物語自体は、主人公がコールドスリープして飛んだ先が2000年と、ずいぶんと時代を感じさせるものがありますが、その言葉づかいや描写には、とても数十年前に書かれたものとは思えない瑞々しさがあります。

翻訳については、正直ずいぶんおとなしめだなあと感じました。新訳だからといって、崩しすぎず無理をしない、そんな堅実さが感じられる文章で、とても好感を持ちました。そんでもってやっぱり気になるのものだから、書店で旧訳版をぱらぱらと見てみると、こちらも悪くないですね。ただ、猫の話し言葉の訳しかたは、新訳版はさすがです。

しかし、初期のバラードやルーディ・ラッカー、コードウィナー・スミス、ディックなどをよんでいると、素敵なSFは、たとえその舞台が現在に追い越されようとも、色あせることがないものですねえ。これは、SFというものが、単に未来に対する空想からできているわけではなく、なんども感じるのだけれども、一つの世界を構築しながら、ぼくたちが生きている世界と何らかの方法でもってつなぎ合わせることで、世界の意味を豊かにしてくれるような構造をもつ形式であるからだと思うのです。ハインラインは1988年に亡くなったのかあ。とてもそんな気がしないなあ。