高橋克彦:だましゑ歌麿

だましゑ歌麿 (文春文庫)

だましゑ歌麿 (文春文庫)

田沼意次の後を受けた松平定信の治世のなかで、そのあまりにも細かな施策のかずかずに、町民たちは怨嗟の声をあげていた。そんななか、大水のどさくさにまぎれ、喜多川歌麿の妻が陵辱された上に殺害されるという事件がおこる。南町奉行所の同心仙波一之進は、その事件の追及を進める中で大きな策謀を探り当ててしまう。

時代物のミステリーと言えば捕物帖、捕物帖と言えば岡本綺堂久生十蘭とおもっていたのですが、先日読んだ高橋氏の「京伝怪異帖」に驚かされ、これはとおもって読んでみた本作ですが、やはりとても面白い。「京伝」が短編の連作集なのに対し、本作は長編という違いはありますが、それでもなにか共通する良さがありました。

もちろん、物語の構成やしゃべりことばの生き生きとした感じなど、作者の技術的な素晴らしさはいうまでもなくこの物語を素敵なものにしているのですが、でも、おそらく僕が面白いと思ったのは、ここに示されている「距離感」です。例えば、主人公の仙波が南町奉行所から火附盗賊改に異動したとき、出仕先が変わった彼は以下のようにこぼす。
「<八丁堀から四谷ってことになると……>結構きつくなるな、と仙波はようやく辿り着いた役宅の前で舌打ちした。毎日では行き帰りでくたびれてしまいそうだ。御手先組の組屋敷はこの近くに固まっているから平気だろうが、こっちは違う。同行して来た菊弥も苦笑していた。」

こういう、いまの感覚ではわかりづらい距離感が、まざまざと描写されているところがぼくにはたまらない。差し挟まれる浮世絵もとてもすてきなのだけれど、ことばや描写だけではなく、このような表現で、その時代の雰囲気を描き出すことができる、そのような意味で、本作はとても魅力的な作品だと感じました。江ノ島まで、往復で二日なんて書かれても、今では電車ですぐですからね。時間距離の違いを、しみじみと感じさせられます。