ジェイムズ. F. デイヴィッド:時限捜査 上・下

時限捜査上 (創元推理文庫)

時限捜査上 (創元推理文庫)

時限捜査下 (創元推理文庫)

時限捜査下 (創元推理文庫)

娘を失ったことでアル中状態に陥り、矯正施設を経て現場に復帰したかつての名刑事は、幼児を就寝中にそのベッドで窒息死させる連続幼児殺害犯「クレイドルラバー」の特捜班の班長に抜擢される。捜査を進めるうちに、彼はなぜか被害者を助けようとする「青い肌」の老人や、事故で両足を失った女性など、不思議な人々と出会い、不思議な世界に陥ってゆく。

大学教員という仕事の都合上、8月の第1週は院試やオープンキャンパス、学期末の仕事のまとめなど、色々とあわただしくブログをアップすることができませんでした。それでも読書は黙々と続けていて、瀬戸口明久氏の「害虫の誕生」、小山正氏編「天地驚愕のミステリー」、ジャック・カーリー「毒蛇の園」など、感想を書き留めておきたい素敵な本はいくつもあったのですが、ついさっき読み終わった本書の印象があまりに強烈なので、とりあえずこれから。
はじめのほうの雰囲気は、かなりありがちな手堅い刑事ものといった感じ。主人公はトラウマを持ち、アルコール依存から立ち直ろうとしている実はやり手の刑事。出世欲の強い同僚に嫌がらせを受けたりしながらも、着実に仕事を進めてゆくというものです。そこに、シリアルキラーが登場し、しかもある殺人事件の起こる直前に、その犯行を予言するようなメモを被害者の妹に渡すという、不可能状況が生み出されます。さあ、ここからが作者の腕のみせどころ、と思ったのですが、なにかがとても大きくおかしい。
主人公の同僚で、警察署の誰にも愛される男は、主人公にそれはタイムトラベラーだと語り、同じ警察署に属する女性職員は人間を超えた精霊「ジニー」の仕業だと断言します。何ですか、この展開はと思ったのだけれど、一方で極めて常識的な主人公やその上司たちは、当然そのような見解を一蹴し、まともな捜査を進めてゆきます。
ところがところが、ここでもう一人、有名工科大学出身で作家の、事故で両足を切断した女性が登場します。彼女は、なにやら不思議な物理の理論でもって、タイムトラベルの実現可能性に言及し、驚いたことに物語はそちらの方向に勢いよく舵を切って進んでゆくことになるのです。
はじめは、これは創元推理文庫ではなくて、創元SF文庫にあるべきおはなしなのではないかな、と思ったのだけれど、読み進むにつれやっぱりこれでよいのだと思わされました。だってこれ、SFではなくてオカルトですよ。主人公が車いすの女性の狂気の理論に巻き込まれてゆく様なんて、まさに疑似科学の手法以外のなにものでもありません。そこにはSF的なる、構築の美学はまったく存在しません。ただ、信じるか信じないか、その二分法を求められる哀れな主体があるのみなのです。
で、物語として面白かったのかといえば、この奇妙な違和感と不気味さを加味した上で、面白い作品であったことは間違いありません。人間が疑似科学やオカルトに入り込んでしまう、そのプロセスを小説として表現したものとして読めば、それなりに独創的かつ斬新なスタイルの表現で、とても刺激的でした。