福岡伸一:世界は分けてもわからない

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

15世紀ヴェネツィアの画家ヴィットーレ・カルパッチョの2枚の絵を手がかりに、ものごとは分割してみないと考えることすらかなわない一方で、分割してもすべてが見えるわけでもなく、実はわからないことが明らかになる、という感じのことを書いた生物物語。

読みながらの感想としては、なんだか論旨が掴みづらいというものでした。物語はランゲルハンス島からLAのゲティセンター、コンビニのサンドイッチの保存料からES細胞まで、多岐にわたってそれはそれで興味深く、しかも書きぶりはいつものごとく情緒的でありながらも専門性を感じさせる硬質なものでとても気持ちよい。でもなんだか、全体をまとめる物語はなんなのか、言いたいことはわかるのだけれど少し納得しかねるものがありました。

ところが、最後のセクションになって、ああこれか、と思わされます。そこでは、ニューヨークのコーネル大学における炎のごとき研究者と、そこに突然現れた天才大学院生の姿が描かれます。彼らは、チームとして次々に世界的な成果を上げてゆくのですが、やはりそこには結果の捏造という、大きな陥穽が待ち受けていたのです。しかし、彼らが作り上げた世界は、その後の検証によってすべてではないものの、ある部分はまさに正鵠を得ていたことも明らかになります。

福岡氏は、このようなエピソードによって、科学というものの不完全さと、全体を説明しようとする欲望のつまずき、そしてそれが象徴的に指し示す、部分と全体の非対称な関係を描き出したかったのだと思います。しかし、なんだか納得ができない。なにか違和感があるんだよなあ。言いたいことはわかるのだけれど、結局何が発見か、何が事実かなんて、基本的には研究者個人に帰属するものだと思うし、そうでしかありえない気がするからです。なにか地道な積み重ねが大発見に繋がるわけでもなければ、天才的なひらめきが世界を切り開くわけでも、実は無いような気がする。研究は研究のため、自己目的化されたなかで、それぞれ楽しく働いているわけで、氏がこのような著作を書いてしまうと言うことが、伝わってくるメッセージとなにか齟齬を生じている気がしてなりません。でも、とても楽しく読み切れたことは、また間違いないのですが。

なんだか逆接の助詞ばかりの文章になってしまった。。。