ピーター・トレメイン:蜘蛛の巣 上・下

蜘蛛の巣 上 (創元推理文庫)

蜘蛛の巣 上 (創元推理文庫)

蜘蛛の巣 下 (創元推理文庫)

蜘蛛の巣 下 (創元推理文庫)

7世紀アイルランドを舞台に、高位の弁護士でもあり王位継承者の妹でもあり、加えて不思議な体術のマスターでもある修道女フィデルマさんが、田舎ながら豊かな土地を持つアラグリンの谷でおこった殺人事件を手がけ、結果としてその地に根深く張り巡らされた因果の糸を解きほぐすはなし。

最新作「修道女フィデルマの叡智」があまりにも面白かったので、同シリーズの最初の邦訳を読んでみました。はじめは裁判の場面からはじまりそれなりに緊迫感があったものの、今回フィデルマに与えられた使命は田舎の村で、もうすでに被疑者が拘束されている事件の真相を確かめるというもの。あまりの地味さに、これで上下巻2冊分を持ちこたえられるのか、不安でたまらなかったのですが、結果としてはまさに巻措く能わずとはこのことか!と思わされるほど引き込まれました。

このような本を読むと、ミステリとは形式であり、内容とは関係がないのだなあとつくづく思わされます。なんというか、ここで描かれているのは、声なき人の声を聞き、声大なるものの声を疑うという、懐疑精神と発見、つまりまさしく科学的な物語のような感があります。象徴的な登場人物に、殺人事件の被疑者として物語のはじめの方で捕まえられてしまう盲聾の青年がいるのだけれど、フィデルマは彼がコミュニケーション能力(というか手段)を持つだけでなく、たぐいまれな聡明さを持った人物であることを発見するのです。

このような記述を見ると、いったい筆者はどこからこのような着想を得たのか、またはどこで実際の盲聾の人々と遭遇したことがあるのか不思議になります。東大の福島先生が有名ですが、盲聾の世界が世の中に認められ始めたのは、まさにここ数年です。このような世界を、7世紀のアイルランドに作り上げてしまう筆者の力強さには、くらくら来てしまうものがあります。

その他にも、物語としてとても楽しめます。相変わらず表紙の装画は美しく、甲斐萬里江氏の訳文も流麗にして雰囲気があり見事。巻末のうるさいくらいの訳注も、研究者心をくすぐる楽しいものでした。