門井慶喜:パラドックス実践 雄弁学園の教師たち

パラドックス実践 雄弁学園の教師たち

パラドックス実践 雄弁学園の教師たち

論理的な実行力および思考力を教育することをその教育の根幹に置いた、小学校から大学まで備えた「雄弁学園」なる学園組織における、教師たちと学生のまっとうで奇妙な出来事を描いた中編集。高等部、初等部、中学部、雄弁大学それぞれを舞台とした4つの物語からなる。

物語は高等部での教師と生徒との論理対決から始まるのですが、これがいきなり面白い。前任の教師が職場放棄した後を任された先生は、哲学科を出ていながらも哲学書と言えばプラトンの「饗宴」しか読んだことがありません。彼が、赴任早々三人の学生に「テレポーテーションが現実に可能であることを説明しろ」「海を山に、山を海に変えられることを証明しろ」「サンタクロースの実在を証明しろ」と問い詰められます。そんなことはありえない、と言えばよいのに、彼は言うことができない。なぜならば、これは高等部名物「パラドックス実践」の延長であり、成績上位の生徒から先生への歓迎の祝辞の意味が込められているからなのです。

ここですでに想像がつくとおり、ここでの「論理」とは限定された条件下のみでも成立するもので良く、一つでも特殊解が存在すれば良いという、極めて非論理的であり、またほとんど詭弁に近いものであります。しかし著者の巧妙なところは、このような技術的な思考のやりとりを教育の根幹に据えている学校を舞台としたところで、当然生徒たちは他の教科と同様に、むしろそれ以上にこの論理の遊びに真剣なのです。

この新任教師がこの難題をどのように解くのかということは、しかしながら本書の魅力とはほとんど関係がありません。本書は、この異常な条件下の中で、生徒と教師の関係や教師間の政治的争い、そして燃え尽き症候群に陥った失意の教師の姿などを、ある意味極めて「人間的」に描き出しているところのように思います。思えば、高校の化学や「国語」の授業なんて、パズルやナンセンスななぞときのようなものでしたし、そう考えるとこの特殊な学園での人間の描き方は、いわゆる普通の「教育」にひそむ笑えないおかしみを、しみじみと描き出しているような気もして痛快でした。著者の作品は本作が初読でしたが、この批判的精神のみならず、ことばの使い方や文章の構成、そして古典的とも思える堅実な作劇法には、最近の作家の中でもずば抜けた研ぎ澄まされ方を感じました。急ぎ他の作品も読んでみなくては。