大森望・日下三蔵編:超弦領域 年刊日本SF傑作選

超弦領域 年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫)

超弦領域 年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫)

ぼくはあまり日本のSFの良い読者ではないのだけれど、表紙に並べられた著者名に「法月倫太郎」「津原泰巳」「岸本佐知子」の名前を見て、ちょっとびっくり。SFですか?というわけで、いずれにせよ購入していたと思うけれどもやっぱり購入しました。

1番はじめの法月倫太郎氏による「ノックス・マシン」は、未来の文学者がノックスの十戒を起点としたタイムマシンの発見にはからずも貢献してしまい、自らがノックスに会いにゆくというもの。確かにSFだ。。しかし、本編の本質はやはりノックスの十戒の読みにあるように思えました。その意味では、これはマニアックなミステリ解説でもあり、その多重性がSF的とも言えます。

津原泰巳氏の「土の枕」は、小作農の出と偽って太平洋戦争に出兵した奇矯な富農の息子のはなし。これは、著者が解説に述べているとおり、著者の家系にまつわる実在の人物を材にとっただけあって、おそらく別の場所で読んではSFと思うことは無い作品だと思います。しかし、これがSF傑作選に収録されないことに違和感を感じないのは、おそらくSFというものの一つの特質に、現実をまったく異なる切り口からみつめ、そしてその視点の先にまったく異なった世界を見つけることがあるからだと思うのです。それがゆえに、ぼくの好きな小説の多くは「SF的」な構成を持つのだなあと、本作を読んで改めて思わされました。例えば奥泉光氏の「葦と百合」や「鳥類学者のファンタジア」などなのですが。でも、このルビの多い文章はとても美しい。縁起でもないが、津原氏はとてもこの世に生きている人とは思えません。

岸本佐知子氏の「分数アパート」は、あいかわらず嘘と真実の境界線をゆらゆら歩きながら記した日記文。面白かったのは、例えばこんな日記。
「二月五日  久しぶりにOさんと電話で話す。「こだま」より速いのが「ひかり」で「ひかり」より速いのが「のぞみ」。となれば「のぞみ」より速いのは当然「死」であろうが、東京発博多行き死101号などという名の新幹線には誰も乗らない。翻訳少し。」
「二月九日  居間のウンベラータの鉢に枝のふりをした尺取り虫様のものがいるので「必死ちゃん」と名付けて愛することにする。翻訳微量。」
「二月十一日  夕、K社Tと渋谷焼鳥屋。仕事の話のはずがいつの間にか犬猫談義となり打ち合わせは死亡。Tは「分数アパート」のことを知らなかった模様。帰り、夜道を歩いていたら背後で「ほうい、ほうい」という声を聞くが振り返っても誰もいない。」

しかし、本書はやはりというか、残念なことにというか、伊藤計劃氏のためにあるとしか、思うことができません。一番最後に配された氏の「From the Nothing With Love.」は、それはそれは美しくともおかしく、悲しくとも楽しい、とても素敵なお話しでした。なんというか、マイクル・Z・リューインローレンス・ブロック諧謔と暗さに通じるこの小編は、確かにSFなのだけれども、奇しくも最近亡くなったジェームズ・バラードのような、この道を歩いていたらそこは異世界だったという、ある種の戦慄を感じないではいられない鋭さがあります。

ぼくは雑誌を読むことがほとんどないので、このような選集でもなければ出会うことがほぼ無いとおもわれる素敵な短編たちを読むことができ、とても幸せな時間を過ごすことができました。