ピーター・トレメイン:修道女フィデルマの叡智

修道女フィデルマの叡智 修道女フィデルマ短編集 (創元推理文庫)

修道女フィデルマの叡智 修道女フィデルマ短編集 (創元推理文庫)

七世紀のアイルランドを舞台とした、連作短編探偵小説集。主人公は、当時のアイルランドの五王国の一つモアン王国の王位継承予定者の妹にして、高位の法廷弁護士でもあるフィデルマさん。彼女が、ポルターガイスト現象におののく旅籠の経営者の悩みや、密室状態の墳墓内で殺された裁判官の謎などをときほぐす。

なんというか、歴史小説的ミステリーだと思うのだけれど、読んでいる雰囲気は限りなくSFに近いものを感じました。まず言葉遣いが非日常的なのです。例えば、法廷弁護士は「ドーリィー」と呼ばれ、主人公はその中でも最高位に遣い「アンルー」だとのこと。また、当時のアイルランドは古代より続く「ブレホン」と呼ばれる、厳格な法体系にのっとって治世が行われ、その中の婚姻に関する定めは「カイン・ラーナムナ」と言うんだそうです。このめまいがしそうなほど美しい言葉が羅列されるだけで、ついうっとりしてしまう。

なにより面白かったのは、作者はある種の暗黒時代的にぼくが想像してしまう世界を、活き活きと人間が暮らし、また法律と神学によって構築された、ある種の完成された世界として描き出しているところです。そこでの事件は、当然それらの道徳律や法律から逸脱した思考によって起こされるわけで、この、完成されたと思われる世界での逸脱によって、世界のバランスを取ってしまう作者の力強さには、とても引き込まれるものを感じました。それは、(おそらく)極めて正確に当時の社会を描写しつつも、「20分」とか「アリバイ」など、現代的とも思える言葉をさらっと使ってしまうところにも現れているように思います。

表紙の挿画も素晴らしいし、全編に流れる静謐な雰囲気もとても良い。すでにこのシリーズは2作が訳されているとのことで、早速読んでみようと思います。甲斐萬里江氏の翻訳も、原文に忠実ながら癖を感じさせる、見事なものでした。