穂村弘:短歌という爆弾 ー今すぐ歌人になりたいあなたのためにー

短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために

短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために

短歌のつくりかたを爆弾のつくりかたになぞらえ、「導火線」「製造法」「設置法」「構造図」と題された各章で、独特の方法論を展開する。

例えば「製造法」は、同人誌「猫又」に掲載された短歌を穂村氏、東直子氏、沢田康彦氏の三人が評する部分と、神谷きよみ氏が穂村氏からメールで短歌のレッスンをうける部分からなります。これのどこが「製造法」かというと、きわめて具体的な短歌の作り方を考えるからということらしい。なんだか良くわからないのだけれども、でもとてもノリがよい。ひとがつくった短歌にあれこれ言うのを読んでいるのは、確かに気が楽だし、自分だったらこんなかな、と思わせるところがあります。神谷氏のメールレッスンはもう少し痛々しくて、おもわず詠んでしまった短歌を無かったことにしたくなった神谷氏に、穂村氏がそうでもないので作り替えてみようよと提案したりする。ぼくは短歌をつくりたいとも歌人になりたいともまったく思わないのだけれど、なにかこの展開にはどきどきさせられるものがあります。

「設置法」は、つくった短歌の発表方法を描いた部分でした。同人誌などで仲間を作るところからはじまり、その次にいきなり歌集を出版するプロセスが描かれます。なんだ、この挑発的な展開は。まあ、でも生々しくてとても面白い。その後歌会のもようが描かれた後、穂村氏が批評会を開催するために送った一連のメールが掲載されます。ぼくはこの部分が一番面白かった。穂村氏の、歌会に対する赤裸々な下心が、とても美しく表現されていて清々しい。

「構造図」の部分が、おそらく一番短歌の本質というか、短歌のありかたに関する部分だと思われます。ここは一種の技術論で、具体的な短歌が示され、そのどこがどのようなものすごい効果を生み出しているのか、穂村氏によって説明されてゆきます。例えば「心を一点に張る」と題された節の一部分を、以下に引用します。

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廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て   東 直子
この歌に関して私はかつて次のように述べたことがある。
始めてこの歌を目にしたときの衝撃は忘れ難い。私はこれを相聞歌として読んだが、そのような読みを最終的に成立させているものは、最後に置かれた「来て」の二文字に過ぎない。だが、この「来て」の強烈さはどうだ。初句から結句に至ることばの連なりは自然で、新聞紙の上で桃を切り分けたとみえる日常描写の何処にも強引なところは無い。ところが一字空きのあとの、唐突とも思える呼び掛けによって、新聞紙や桃や濡れたナイフといった周囲の物たちの存在がふっと霞がかかったように遠くなり、ただ「来て」のひとことだけが、抗い難い磁力を帯びて読み手の心に迫る。
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まあ、穂村氏のこの解説も充分僕の心に迫るのだけれど。とにかく、短歌をつくろうなんて気持ちのまったく無い僕にも、とても楽しく読める一冊でした。確かに、ことばには世界を揺るがす力強さがある。それは、そう思う。