山田正紀:早春賦

徳川家康が政権を奪取し、八王子に千人同心として封ぜられた半士半農の生活を送る主人公は、徳川家の策謀によってその死後に激しい弾圧を受けた大久保長安にまつわる事件に巻き込まれ、壮絶な闘いを強いられることになる。

山田正紀氏の著作は、出版されるたびに迷わず購入していたのですが、本書はちょっと手を出しかねていました。それというのも、なにかぼんやりした表紙や歴史物というカテゴリ、また粗筋のあまりの地味さに、あまり読む気がしなかったためです。ところがずいぶんと早く文庫化されたので、読んでみたところ、やっぱりいつもの山田節全開で、もっと早く読んでおけばよかったというか、これまで読んでおかないでよかったというか、いずれにせよとても楽しめました。

本書は、徳川家康の強引な政治手法に翻弄される、主人公をはじめとした5人の少年と1人の少女のはなしなのですが、まずその5人の構成が良い。主人公の半士半農生活を送る若者、お寺で修行を行う怪力の僧侶、「拝領屋敷」に士族として暮らす兄弟、そして「解死人」と呼ばれる、村の凶事の際には生け贄となることを運命づけられた上で生かされている若者なのです。

この「解死人」という制度をぼくはまったく知らなかったのですが、確か同じく山田氏の「天正マクベス」で初めて名前を知りました。いまにいたるまでこれが本当に存在した制度なのかわかりませんが、おそらくこのような風習は存在したのだろうと思います。なぜならば、本書はそれ以外の多くの点においても、時代を鮮やかに描き出そうとする、著者の力強い欲望が感じられるからです。

それが端的に示されているのが、本書で使われる話し言葉で、おそらく甲州弁と呼ばれるのだろうけれど、例えば主人公の風一と友人の若い僧侶の山坊の会話はこんな感じ。
「なーえ、山坊よ、そんな薪、どっかい放かしたらどうかい。さぼかせ、さぼかせ」
「そうもいかぬ、風一よ。のけらのけらもしてられぬわい」
これを読んで思い出すのは、やはり井上ひさし氏の「吉里吉里人」です。東北山中のある村が、日本から独立を宣言するという、荒唐無稽と思われる世界に、信じがたいリアリティと批判精神を与えたのは、やはり東北弁で貫かれた会話文だったように思えます。それとは文脈が少し違うのだけれど、この「早春賦」の世界にも、鮮やかな現実感と力強さが感じられ、とても爽やかな時間をすごすことができました。

早春賦 (角川文庫)

早春賦 (角川文庫)