海道尊:ジェネラル・ルージュの凱旋 上・下

舞台の時間設定的には「ナイチンゲールの沈黙」とまったく時と場所を同じくしておこる、救急外来の天才ドクターの収賄に関する内部告発に端を発する顛末を描いたもの。

書き出しを読んでびっくりしましたが、本作は「ナイチンゲールの沈黙」と同じ舞台と時間において、まったく異なる事件が出来するはなしでした。この病院も主人公の田口先生も、忙しくて大変です。しかし、この二作を続けて読むと、作者の展開する物語の力強さが、細かなディテールや描写の雰囲気などをぶちこわし、有無を言わさずに伝わってきて圧倒されました。

ナイチンゲール」が、登場人物たちの悲劇を背景としたカタルシスの世界だとすれば、本作は天才救急外科医の「神性」にまつわる、ある種の神話的で祝祭的なお話しで、この二つのはなしの相性が絶妙です。また本作では、作者お得意の医学系ジャーゴンと、白鳥さんの詭弁ぶりもいかんなく発揮され、リズミカルに展開される台詞と物語には、得も言われぬ勢いを感じました。

一方で、もしこの作品から読んだ人がいれば、まったく良さは伝わらないのではないかと思うくらい「ナイチンゲールの沈黙」との関係性が強いことは気になりました。別に楽しめたから良かったのだけれど、もし僕が本作から読んだら、果たしてここまで楽しめたのか。どう考えても、この二作は一作として発表した方が、良かったように思います。営業的に無理だったのでしょうが。

でも、だんだん作者の「Ai」に対する執着が強くなり、なにか物語全体のリズムを壊し始めている気もします。このシリーズが「Ai」普及のための伝道の書であることはわかるのだけれど、ここまでくどく説明されると自分で根拠を調べたくなり、それがまず鬱陶しい。また、日本で解剖が行われないことが作者の問題意識だと思うのだが、なぜそれが問題なのか、また国際的に比較した場合、どのような状況なのか、説明されないところがもどかしい。おそらく作者の著書である「死因不明社会」を読めばたちどころに分かると思うのだけれど、それを買わされるのがなぜか悔しい。

「Ai」普及促進という本シリーズの主要なテーマの一番の難しい点は、物語の中で不審死が起きてくれないと、その良さが説明されないという、病院を舞台にしながらある種の背徳的とも感じられる設定をせざるを得ない点にあるとも感じました。また、海道氏の作劇法の特徴として、病院で医師がドラマティックに演出される舞台は、本作の最後の場面のように、人間の大量死のような極めて悲惨な状況になってしまうと言うことも、なんとも皮肉なことだなあと思いもしました。

しかし、この病院は不思議です。「グロリアス・セブン」とか「ジェネラル・ルージュ」とか「ドア・トゥ・ヘブン」とか、とても恥ずかしくて発話出来るとは思えない単語がとびかう一方で、天才心臓外科医や天才救急外科医、底知れぬ悪知恵の働く院長に勘の良すぎる精神科医など、とても地方の元国立病院とは思えぬ奥深さです。だんだん非日常的になりすぎてきて、そろそろついて行けなくなりそうな気がしてきました。当分医療関係の小説はよしとしようと思います。

ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫)

ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫)

ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)

ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)