いろいろ考えてしまう

今日は午前中は病院の設計に関わるワーキングの打ち合わせ、午後からぼくの出身の研究室の修士論文発表会を聞く。時間の都合上二人しか聞けなかったけど、どちらも非常に密度高く、きっと自分でも満足出来るできだったと思います。お疲れ様でした。

その後埼玉に移動して、障害者施設にお邪魔する。最近お世話になっている別の施設の設計を担当した建築家の方にお会いしようとしたところ、こちらで打ち合わせがあるのでそのときにお会いしないかとのこと。じつはこちらの施設、もう7、8年まえに工房をつくるお手伝いをしたことがある施設で、不思議な縁を感じました。

会議室に入るや、職員の方と設計者の熱のこもった議論が繰り広げられている。いくぶん圧倒されながらも、そういえば、工房をつくるときも、みんなで延々議論していたなあと、懐かしく思い出す。ずっとご無沙汰していたけれど、やはり思いがある人たちは力強い。

その後、同じ法人内でその建築家の方が設計した施設にご案内いただく。夕飯時だったため、施設に入るなり夕食の匂いが広がり、ぐっと食欲を感じる。「これが、生活なんだよ」と、振り返ってにっこり僕を見ながらその建築家の方はいう。「何も考えずに設計すると、そこには生活が無くなってしまう。食事はみんなの見えるところで作って、ご飯の時間を感じること、これがまずなによりも、生活の基本なんだよね。」

そこは基本的にかなりの重度のひとたちの暮らす施設で、ほぼ全員が自力での歩行は困難、ざっと見た感じではなかなかことばをつむぐことも難しそう、食事は半数くらいがきざみ食、経管の方もいくにんか。でもまあ、みんなにこにこと元気そうで、楽しい空気でした。スタッフが靴下で歩いているのも素敵だったな。やっぱり自宅では靴下かはだしだもんね。

帰りの電車でも、いろいろとお話しを伺うことができ、計画に関わるアイディアも頂きました。「障害者」の「ための」建築を考える時に陥りがちな罠は、「ひとそれぞれ」で思考を停止してしまうことだと思う。しかし、そこで考えるのをやめてしまうのでもなく、かといって無限の場合分けの循環に陥ってしまうのでもない、なにか方法があるはずだよなあ。相変わらずよくわからないのだけれど。