柳広司:虎と月
中島敦の「山月記」を題に取り、虎と変わってしまった李徴の息子が、父が虎となった理由を探す旅のさきに、父が虎となり、またならなかった理由を発見してしまうはなし。
柳氏は本書の後書きで、高校生の頃はじめて「山月記」を読んだ時には、漢字ばかりでとっつきにくいなあと思ったと書いている。しかし一読するやそのおもしろさにすっかりとりつかれ、ノートに書き写したりしているうちに最初から最後まで、すっかり憶えてしまったとも。
ぼくも中島敦は大好きで、字面は硬いのだけれど物語はやわらかく、文章の息は長いがリズムはここちよい、そしてなによりも、その語りのなかに織り込まれた思わぬ切り口に、はっとさせられる瞬間が必ず待ちかまえているのが最高です。そしてそれは柳氏の作品にもかならず感じることでもあります。
柳氏と言えばやはりソクラテスを物語の主軸においた「饗宴」や、シュリーマンのトロイア発掘を材に取った「黄金の灰」が印象深いのですが、どちらも「ことば」の多義性や、またはその多義性の隠蔽がもたらす「事実」のゆがみが、物語のなかの現実をゆがめてゆくといった構成をとっていたと思います。本作も、もう少し直球ではあるのだけれど、ことばによって現実がまったくかわってしまう、または現実とはそれほど確かならぬものだということを、柔らかい語り口とリズム良い展開のなかにあっけにとられてしまうくらいの鮮やかさで潜り込ませた物語のように思え、またしても感動してしまったのです。
でも、柳氏が中島敦氏を好きだというのは腑に落ちます。山月記と言えば、「古潭」の中に納められた四編の内の一編で、他の三編もとても好きなのですが、小森陽一先生が「「ゆらぎ」の日本文学」のなかで「古潭」のなかの「文字禍」を取り上げ、植民地支配の中での暴力的なことばの剥奪と、それがどのように南方での軍事経験を持つ中島敦の文学の中に映し込まれているのか、鮮やかに論じていたのを思い出します。なにか柳氏の語りには、小森先生の論じるような、言葉の非対称性と暴力性が潜められているような気が、本作を読んでまた強く感じられました。
- 作者: 柳広司
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- 作者: 小森陽一
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でも、この「ミステリーYA!」シリーズといい「よりみちパン!セ」シリーズといい、理論社って本当に素敵な本を作りますねえ。あと、帯の書店員さんの推薦コメントは、申し訳ないがあまりにも芸が無く興醒めでした。