福岡伸一:できそこないの男たち

人間の男女を決定するのはいかなる要素か、生物学的な記述を学問の世界のドラマとしてつづったドキュメンタリー。

森達也氏が繰り返して述べるとおり、ドキュメンタリーは創作の世界に分類されるべきものだと思います。それはいわゆる「事実」をつづったものではなく、ある種の形式にしたがって構築された、物語と考えるべきでしょう。また、「事実」とはむしろ構築された物としてこころにその像を結ぶむすぶものであり、それが小説に僕たちの現前に現れ出でた「現実」の後ろ側を見せてくれるのだと思います(それをまざまざと感じさせたのが、久間十義氏の「聖マリア・らぷそでぃ」でした)。その意味で、福岡氏は極めて力強いドキュメンタリー作家だと思う。

人間の男女はどのように決まるのか、それが発生学的にどのように発現し、またその背後にどのような分子生物学的なモーメントが存在するのか、いろいろ書いてありましたがまったく憶えていません。本書は、むしろMITの新進気鋭の研究者であったデイビッド・ペイジの栄光と凋落を軸に、作者である福岡氏がどのように専門の生活を歩み、そしてどのようにその世界から「現実」を同定したのかという、そのまなざしのやわらかさと鋭さが印象的でした。

というか、ようはものすごく叙情的なのだけれど、それでいて語られていることはともすれば中立的な、神の視点的な安心感があって楽しめました。研究者として読むと、駆け出し研究者のころの鬱屈と不安が、生物学の世界の熾烈な争いを一歩下がったクールな語り口で読み解かせているような気がして、その水面下にほのみえる諦念と熱い思いに、うっかりからめとられてしまい、とても楽しむことができました。最近読んだ小説のなかでも、ベストに挙げたくなる面白さです。

もはや物語と呼ぶべき本書は、男女を決める決定的な要素を発見したと思われた前述のデイビッド・ペイジの発見が、その後ライヴァルによって覆されるという筋立てによって進むのだけれど、デイビッドがいまでもMITで研究を続けていることや、最後はハーバードの医学部の研究者の栄華と没落のエピソードで締めくくられるなど、不必要に思えるほどドラマティックなのです。

おそらく専門の人が読むと、そういうわけでもないんでないかなと思ってしまう物語かとは思うけど、でもやはりこの語り口で語られては、もはやなにも言えないでしょう。でも本当に、福岡氏の文章はしっとりとして素敵ですねえ。

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)