奥泉光:神器 軍艦「橿原」殺人事件 上・下

日本人で現在活躍中の作家の中から、もっとも新刊が待ち遠しいひとを3人挙げろと言われれば、迷うことなく奥泉光氏と水村美苗氏の名前が思い浮かびます。さて3人目は誰か。津原泰水氏も素敵だけど柳広司氏の切り裂かんばかりの鋭さはたまらない。最近新作を見かけないけど松尾由美氏の美しくもねじくれた感性だって忘れるわけにはいかないし、森見登美彦氏の近代文学の復活を思わせる格調高き時代錯誤加減も大好き。芦原すなお氏はあまり読んでいる人を見たことがないけれど研ぎ澄まされているし、最近の山本文緒氏や森絵都氏は、どこか違う世界に突き抜けている感じもする。希代の「変態」作家(読んでいる人はおわかりでしょうが、決して貶している訳ではありません)鳥飼否宇氏は数十年後には巨匠と呼ばれる可能性もあるし、そういえば山田正紀先生も新作が楽しみだなあ。

それはさておき、やっぱり奥泉氏と水村氏はぼくにとってとても大事な小説を描き出すひとたちなのだけれど、両者の大きな違いは水村氏は7年に一作くらいしか小説を書いてくれない一方で、奥泉氏は数年に一度は新作を届けてくれることなのです。

舞台は日本の敗戦直前、軍艦「橿原」に乗り合わせた俳句好きの水兵が、その絶望的な航海のただ中におきる殺人事件と不可解な出来事に襲われる様を描いた本作は、書き出しはなにか飄々とした歯切れ良くリズム感のある漱石的な文体で展開され、これは「「吾輩は猫である」殺人事件」的な物語とおもいきや、すぐさま陰鬱な情景が差し挟まれ、不穏な空気が漂い始める。読み進めるうちに、どうやら物語の主題は日本人とはなにか、日本の戦後とはなにか、そして戦争という果て無き正気の延長線上に展開される狂気とはなにか、ということではないのかと感じられ、その意味では「浪漫的な行軍の記録」を思わせるのだけれど、それでもあくまで主人公の一人称で語られる部分は狂騒的に明るく、なにか居心地の悪いちぐはぐさが響き渡る。

正直なところ、少し疲れた気分の時には読み続けるのが厳しいくらい、重く陰鬱な物語でした。でも、この物語にはそれだけでは語れない牽引力がある。その一つは、軍艦「橿原」が運ぶものはなにか、そして向かう場所はどこかという謎であり、またもう一つ、作者がこのような語りと物語の構造を選んだその理由は何か、という問いである。後者に関してはいまだよく分からないのだけれど、僕には過去の歴史や戦争での死者の位相を定位しようと言うこころみというよりは、むしろ現在ぼくたちの置かれている状況を、過去という舞台設定を使いながら極めて批評的に描いたものだと感じられた。議論は循環的ではあるが、そのように考えない限りぼくたちは「戦争」の意味を考えることが難しいし、現在「戦争」が行われているという事実を見据えることができない。

なんだかいろいろ考えさせられたことは確かなのだけれども、やっぱり面白い作品でした。でも、みんなに勧めようとは思わないなあ。ちょっと強烈なので。「その言葉を」とか「暴力の舟」を読んでから、読んでみてもらいたい作品だと思います。

神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件

神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件

神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件

神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件