研究日誌(承前)

障害者グループホームに泊まったことは何度もあるけれども、施設に数日間にわたって泊まったことは今回が初めてでした。やはり、じっくり見て、少しの間ではあるけれども利用者と同じ時間を過ごすと、ぽろぽろといままで見えていなかったものが見えてくるように思えます。

今回の発見はいろいろあると思うのですが、一緒に調査を行ったチームのひとたちと話した中で一番考えさせられたのが、食事前に食堂にできる入居者の列でした。夕食は午後6時からなのですが、早い人では1時間前から、食堂の前で列を作って待ち始めます。はじめ僕たちは、建築的に時間を楽しく過ごす場所がないことが問題なのではないかと思っていました。

ところが調査も2日目に入って、淡々とした生活リズムを感じ始めると、調査の単調さもあいまって食事が楽しみで楽しみでたまらなくなってきます。というか楽しみが食事しかない(しかも食事はおいしい)。3日目には、2時間前くらいには夕食が楽しみになり、1時間前にはぼくも一緒に並びたくなってしまいました。

そのうち、これはある意味生活の単調さ、または生活の冗長性の無さが寄与しているのではと考えるようになりました。例えば僕たちが寮で暮らしているとした場合、このようなことにはならないと思う。夕食の時間までは喫茶店で本を読んだり、図書館で勉強したり、街を歩きながら音楽を聴いたり、様々なことができる。でも、近くのコンビニまで歩いて20分もかかる場所で、しかも歩行に問題やてんかんの発作があるひとたちは、住んでいる場所から離れること自体が難しく、また自発的な活動も難しい。

建築としては様々な提案が考えられるのだけれど、それでも難しい、という場合は、これはむしろ立地の問題になってくるわけです。安定した移動に様々な面で困難な人、生活の冗長性へのリーチングに困難をおぼえるひとほど、便利なところに住んでいてもらいたい、そのことを示すためにも、建築はできるだけの計画をしなければならない、そのようにチームのみんなとの議論の中で考え方がシフトして行ったように思います。そんなことを、帰ってビールを飲みながら、考えました。

大学に戻ると、みんな大量の梗概と本論を提出してくれました。まだ全部はチェックできていないけど、ざっと見た感じ荒削りだけれど思いが伝わってくる感じになってきましたね。あと少し、悔いの無いようにキーボードを叩き続けましょう。