山本文緒「アカペラ」

アカペラ

アカペラ

青い背景にくすんだ電気ポットみたいな装画の表紙がまず素敵だったのだが、帯の文章に思わず手に取った。

「人生がきらきらしないように、明日に期待しすぎないように、生きている彼らのために。あなたの心を温める物語3篇。」

温めてもらわなくても結構なのだが、でもその前のことばがとても良い。そして、実際とても素晴らしい物語だった。



お話しは三つ。一篇目は、中学を卒業したら働くことを心に決めた少女と、その彼女が心から大切に思う、多少認知症と思われる症状の出始めた祖父、そしてその二人の世界をなぜか壊してしまう少女の母親の話。二篇目は、父親の暴力やいろいろに耐えかねて高校卒業直前に家出をして20年実家に帰らなかった男が父の死を期に帰京し、昔大好きだったいとこの一人娘と、幸せな、そして破滅的な時間を過ごす話。三篇目は、病弱な弟を世話することが生活の中心である50歳の独身女性と、その弟に好意をよせる女性の、なにか乾ききった、そしてとてももつれた生活の話。



どのはなしも、とても奇妙で、いわゆる普通の視線から見ればおかしな、そして破綻した人間関係を描いている。でも、登場人物を描き出す作者の筆先は、とても柔らかく、自由で、そして登場人物たちから見た世界を生き生きと描き出す。正直どこか壊れてしまったと思わせてしまうひとたちの、その内側に立って世界を見たとき、壊れているのは自分なんかではなくそのまわりの世界なんだと思わせてしまう、とても柔らかく穏やかな物語が、ここでは展開されている。



物語そのものは、ところがそれほど穏やかでも優しくもない。登場人物たちは、自分や周囲の人たちのまきおこす、とげとげしく乱暴で、複雑怪奇な、ねじまがった経験に見舞われる。でも、ぼくはおそらくこれが現実にありうる世界の姿なんだと、思わずにいられなかった。これは、もしかしたら誰にでもあり得る、そしてあり得た世界のありようなのだ、と。それはなぜだかよく分からないのだが、おそらく登場人物たちはあまりにも普通で、不思議な力に祝福されることもなく、ただ、上手くいかない日々に流されていってしまうだけの存在だからだろう。だからこそ、この物語は現実感を持ち、僕の心に強く響く何かを残した。みんな頑張っているし、だからといって上手くいかない。だからこそ、それでよいんだ、これでいいんだという、何かとても力強いんだけど、同時に泣きたくなってしまうような切ない気持ちが、ひとつひとつの物語を読みながら湧き上がり、嬉しいような悲しいような、不思議に楽しい感覚に襲われ続けたのである。