岸本佐知子「気になる部分」

気になる部分 (白水uブックス)

気になる部分 (白水uブックス)

翻訳家である著者のエッセイ集。各所で絶賛されていたのは知っていたのだが、なかなか手に取る機会が無く、ようやく読んでみた。ちょう最高でした。



本書はだいたい3から5ページくらいの短いエッセイを集めたもので、「1.考えてしまう」「2.ひとりあそび」「3.軽い妄想癖」「4.翻訳家の生活と意見」の、4つの章立てに分けられている。分けられているが、結局どの章も内容は同じで、著者の軽い妄想と大きな言葉遊びで組み立てられた、とても素敵なことばたちの集まりでできている。



例えば「オオカミなんてこわくない」と題されたはなしは、こんな感じだ。著者はこわいと思うものをつぎつぎあげてゆく。まず「粒タイプ」のガムがこわい。のどに詰まりそうなので。「ロボコップ」もこわい。あの、生身の部分と機械の部分のとりあいが妙だ。ひげも毎日そっているのだろうか。「ヤマネ」もこわい。踏みつぶしたくなりそうで。「バス停においてある椅子」もこわい。「ゴキブリ」も、黒光りするボディから噛むと口いっぱいに広がる苦い味までこわい。。。



もう一つ、「六年半」というはなしは、著者が会社勤めをしていたころを思い出してかかれたもので、こんな感じ。その会社は、出社してパソコンにパスワードを打ち込むと、「やってみなはれ」とう文字がプリンタから打ち出される。社内番号表には「官能室」という部屋があり、「ベルサッサ」とは終業ベルと同時に帰ること。「パンフレット・チラシ」は「パンチラ」、「プレゼンテーション」は「プレテ」と略す一方で、「それは別件で」は「それはベッケンバウアーで」と言う習わしになっている。このはなしを読んだ後、しばらく「ベッケンバウアー」は僕のあたまから離れなかった。。



つまりはこんな感じで、嘘ともほんとともつかない、でもおそらくほとんど大嘘の話たちが、著者のあくまで軽く、力の抜けた筆致によって生き生きと並べられている。それだけなら、ある意味それだけなのだけど、でもなにかここにはとても思いの込められた、力のこもった文章があるのだ。なんだか不思議だなあとおもって読み進んでいたのだけれど、「あとがき」を読んで腑に落ちた。以下は書き出しの部分。



「私はテンポがおそい。ものごとが腑に落ちるまでに時間がかかる。だが世の中は待ってはくれない。私が一つのことを考えているうちに、誰かが「はいはい、それはもうこういう方向に決まったからね」とてきぱき事を運んでしまい、そうやって世の中はどんどん前へ進んでいく。」



そんななか、著者はいろんな腑に落ちないことをかかえ、でもそれでは大変だからそれらを全部まとめて壺の中に押し込んで蓋をしておく。



「さて翻訳という仕事をするようになり、それにともなって「何か書け」と言われる機会が出てきた。書くことなんて何もない。頭の中をひっかき回し、苦しまぎれに壺の蓋を開けてみたら、何十年にもわたって”なかったこと”にしてあったものがどろどろに発酵し、得たいの知れない匂いを発していた。そういうどろどろの発酵物を集めたのが、この本である。」



ということらしい。なるほどなあ。なにかこのさわやかすぎない感じは、やっぱり充分に発酵させられたものの香りなんだ。この、それとは感じさせない密度というか、かけられた時間と思いというか、なにかそのようなものが、やはり心に響き、記憶に残る文章を形づくっていると、いつも思う。しかし、素敵な文章って、抜き出して書いているだけでも楽しいものです。漢字の遣いから送りがな、句読点の場所まで、なにか音楽を聴いているような美しさがあって、本当に楽しい。さて、第二エッセイ集「ねにもつタイプ」を買いに行こう。

岸本佐知子白水社、2006.5)