森絵都「ラン」
- 作者: 森絵都
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2008/06/19
- メディア: 単行本
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両親と弟を事故で失った主人公は、ある日彼ら彼女らが「存在」し生活する霊界への道を、ふとしたきっかけで見つけてしまい、家族と「再会」を果たしてしまう。その道は40キロととてつもなく長いのだが、不思議な自転車で主人公は楽々と辿り着き、家族との失われた生活を再び手にすることができる。しかしその不思議な自転車に別れをつげる必要が生じ、焦った主人公はマラソンを始め、そのうちおかしなマラソンチームに引っ張り込まれることとなり、あれやこれやの騒ぎが勃発する。
とても自分と近い距離で死を感じた場合、何か死に引き寄せられてしまう気持ちになるのはよく分かる。でも、それってとても危ない気がしてならない。ところがこの物語の主人公は、あっさり死の世界に辿り着いてしまう。これは危険な話だなあと思って読んでいたら、その後の展開がなんだか微妙におかしな雰囲気を漂わせる。家族と「再会」した主人公は、ふと何かがおかしいと気がついてしまう。こんなはずではなかった。自分たちは、こんなに幸せな家族ではなかったと。そこにいるのは、悲しみや辛さが消えた、なにか幸福だけの、またリアルではない存在であるらしい。
この、決して手に入れられない、手にしてはいけないものを掴んだと思ったら、実はそうではなかったという構図は、この物語を終始支配しているように思えた。そのたびに、僕はひやりとした冷たさを感じ、そしてああやっぱりといった安堵感を憶え、そしてなんだか残念で悲しい思いにとらわれてしまう。結局主人公は何かを手に入れることができたのだろうか。物語の即物的な意味では、何も手に入れていない。
しかしこの物語をとても素敵な、また大きな救いのあるものとしているのは、まさにこの構図ではないかと、最後まで読んで強く感じた。何かを一生懸命にすれば何かが手にはいるわけではないし、失ったものは決して取り返せない。けれど、なにか僕たちは日々変わりながら、一歩一歩歩いてゆける。それだけでいいではないか、ということを、この物語は力強く、語りかけている気がしてならない。
でも、この作者は声高には語らない。物語に僕を引きづり込みつつ、主人公を窮地に追いつめたり、とっても憎たらしい登場人物を描いてみたり、ある種の不条理な状況を見事に作り出す。しかもそのたびに、なにかこちらの勢いを逆手に取るような、柔道の返し技のような力の抜けた展開で、僕の高まった気持ちをぼきぼき脱臼させてゆく。そしてその根底にあるのは、なにかあっけらかんとした明るさというか、からっとした諧謔精神というか、馬鹿馬鹿しいまでのおかしみなのだ。
読み終わってみて、一体この読書経験は何なのだろうか、作者は何を伝えたかったのか、または何を書いてしまったのか、ちょっと考え込んでしまった。でもなんとなく、やっぱりこのあっけらかんとした明るさがとても素敵だし、作者が書きたかったことなのかなあと感じたわけです。いろんなことはどうにも取り返しがつかないのだけれど、だからこそ頑張って走らなくても良いし、ぼちぼち適当にやってゆけばよいじゃんって。そしてまた、差し込むような悲しみのなかでこそ、適当でおさまりのつかない生活は、光り輝くことができるし、実際光り輝いている。そんなことを、まわりくどく書き連ねている、素敵な物語だったなあと、読み終わって少し経ってから考えた。
(森絵都、理論社、2008.6)