パーシヴァル・ワイルド「検死審問 インクエスト」

検死審問―インクエスト (創元推理文庫)

検死審問―インクエスト (創元推理文庫)

年老いたベストセラー作家が住む田舎の邸宅に、その70歳の誕生日を祝うため親戚や出版社、評論家などの人々が集められるのだが、皆がライフル銃での試し打ちに興じた直後、作家のマネージメントを長年手がけてきた男性が射殺死体で発見される。この事件を担当した「検死官」は、本来の職務を大きく逸脱し、公判において事件の真相を明らかにしようと証人を問いつめる。

原著の出版は1940年とのことで、実に約70年前に書かれた小説だが、おそろしいことにとても面白かった。最近創元推理文庫や創元SF文庫で名作の復刊が行われているが、名作ではあるのだがどれも手に取りがたいオーラがあり、それはまずなによりも写植の見えが問題のような気がする。本書は、写植から翻訳まで全てリバイズされたもので、リズム良い訳文は読みやすく、また活字も追いやすい。本書には70年という時代の風化をまったく感じさせないものがあり、多くの小説に感じる「古くささ」の大部分は、活字や訳文など形式上の問題だったのかなあと、しみじみ感じさせられた。さて、内容的に本書の最も大きな特徴は、物語の体裁が検死審問という、ある種の裁判のような手続きを記録したものであるということにある。検死官と検死陪審員、そして随時呼び出される証人の会話が、まるで舞台のト書きのように記録調に羅列される。これは一見していかがなものかと思ったのだが、読み進めると意外にも見事な構成が納められていてびっくりした。本書の大部分は、証人が一人称で語る事件や登場人物に対する物語が占めるのだが、これが結果として物語に多面性を与え、なにか芥川の「藪の中」を思い起こさせる、物語の「真実」に対する定義を揺さぶる非常に大きな効果を上げている。推理小説の「推理」や「真実」とは、物語が常に作者の構築された世界に存在する以上、作家が任意に設定することが可能であり、その意味で推理における「フェアネス」のような概念は冗談でしかないと思うのだが、一方で結果「真実」とは何か、「事実」とは何かという、物語の根本に関する問題が浮き上がるのも、また「推理小説」という形式の持つ大きな魅力だと思う(奥泉光の「葦と百合」や、久間十義の「聖マリア・らぷそでぃー」のように)。本書はその意味で、推理小説の魅力を存分に引き出し、物語の面白さをこの上もなく見せつけてくれた作品でした。これが乱歩の時代に発表されたということに、とにかく驚いた。ポストモダンを数十年も先取りですからねえ。。しかもこのクオリティーで。。。(パーシヴァル・ワイルド著、創元推理文庫、2008年2月、840円)