東川篤哉「もう誘拐なんてしない」

もう誘拐なんてしない

もう誘拐なんてしない

下関に住む貧乏大学生が門司港でたこ焼きバイトに精を出していると、ヤクザから逃げているらしい女子高生と遭遇、その逃亡を手助けしたは良いものの、彼女は実はヤクザの組長の娘で、しかも彼女の義理の妹の手術代を捻出するための狂言誘拐の片棒を担がされる羽目になる。

「密室の鍵貸します」では確か烏賊川市という架空のまちを舞台にしていたが、本作では下関と門司という具体的な場所が舞台で、しかもそのどちらの描写も、その場所で長らく暮らしていないと分からないのではないかと思うくらい不必要に詳しい。どうやら著者は下関出身か。そんなことはどうでもよいような気もするのだが、でもこのとてもていねいに練り込まれたディテールは、その冒頭から物語に心地よいリズムと確かな肌触りを与え、楽しくものっぺりとした感のある著者のこれまでの作品とは、また違った趣があり面白かった。東川氏の作品は、一言で感じられる雰囲気をまとめると「楽観的」とでも言おう気楽さとノリの良さが気持ちよく、新刊が出るたびに本屋を巡っては買い求めているのだが、最近の作品での中では「交換殺人に向かない夜」が飛び抜けて面白かった。本作は、その意外感や物語のビート感では「交換殺人」にはかなわないものの、その脱力感に溢れる構築と間抜けな雰囲気、そして登場人物達の造形など、「交換殺人」と同じくらい、もしくはそれ以上に端正で楽しめる作品でした。でも、やっぱり東川氏の作品の魅力は地の文の語りにあると思う。以下、冒頭の数段落目から抜粋。

「海峡の街であるがゆえに、テレビをつければ福岡の放送局の伝播を受信できる。おかげで福岡県人からは電波泥棒と揶揄されたりもする。それぐらい福岡県に近いわけだが、使用言語はもちろん山口弁。語尾に「〜ちゃ」とか「〜のう」とか付けてやや大袈裟に気合を込めてしゃべれば、それっぽい感じになる。野郎同士の喧嘩なら、広島弁同様に役立つ言葉だ。

 お買い物は「シーモール下関」、魚が見たくなったときは「しものせき水族館」か「唐戸市場」、初詣なら「赤間神社」、デートするなら「海峡ゆめタワー」で、もちろんバスは「サンデン交通」。ちなみに下関ではサンデンバスは自転車代わりの超メジャーな移動手段である。乗ったことのない人間は、生まれたばかりの赤ん坊を除けば、たぶんひとりもいないだろう。下関とはそういう街だ。」

この、いったい誰がしゃべっているのかよく分からない、かつ内容的にはどうでもよい三人称の語りが心地よい。全編こんな感じで、神の視点の語り手が逐次主人公や物語の進行につっこみをいれるのだが、しかしこの語りがしまりがよく、間が抜けた感じにならずむしろ物語のリズムを活性化する。そもそも、こんなこと書かれれば下関に行ってみたくなるよ。こんな気分を味あわせてくれる小説も珍しく、とても読んでいて楽しかったです。