法月綸太郎「犯罪ホロスコープ 1 六人の女王の問題」

犯罪ホロスコープ1 六人の女王の問題 (カッパ・ノベルス)

犯罪ホロスコープ1 六人の女王の問題 (カッパ・ノベルス)

星座名の由来となったギリシャ神話に(結果的に)ちなんだ、六つの殺人事件を名探偵法月綸太郎が解き明かす話。「アリョーシャ」と呼ばれるホームレス、神経質な脚本家、ホテルの経営者を強請る恐喝屋、妹が自殺した男、自信家の女優、ダイエット中の女子大生などが殺される。

月氏は、なにか型にはまったような、とても盛り上がりにかける堅苦しく重みのある文章を淡々と綴るだが、その読み心地は不思議と心地よく、読みはじめるとたちまち物語の世界に没入し、その極めてペダンティックで、不必要ではと思われるほどの論理の複雑さも、まったく気にならないくらいに文章を読んでいるだけで気持ちがよい。これは、おそらく充分に推敲され、無駄がそぎ落とされた文章は、全ての部分が必要にして十分であり、いかにそれが硬く重く感じようとも、読書においてはまったく問題にならないことを示している良い例であると思われる。ともあれ、本作でも法月氏の慎重にして大胆な文章作法はいかんなく発揮され、よく考えてみるとあまり理解ができない筋立ても、読んでいる時には考える気にもさせないくらいに気にならず、最初から最後まで、脅威の密度でもって重厚な物語を楽しむことができた。どこかの書評で、あまたある「破格」な推理小説に比べると、本作は極めて正統的でまともであるというようなことが書かれていたような気がするが、ぼくの感想としては本書もずいぶん偏執的でマニアックな作品であり、とても「普通」や「端正」な作品とは思えない。ぼくはミステリのトリックや仕掛けにはまったく興味がないミステリ好きではあるが、しかし本作の仕掛けはなにか見過ごすことのできない、異常さも感じさせる重厚さを感じさせられた。ミステリの世界での妥当性は作者の恣意性によっていかようにも決定することができ、それが故に「フェアネス」などを求めることはナンセンスでしかないとぼくは思うのだが、本作はその恣意性の操作こそが作者の力量であることを、象徴的に示しているように思えた。具体的に書くことは差し控えるが、山口雅也氏の言葉を借りれば「二転三転、危うく横転」しかねない物語の筋道を、まるで当然のように読ませてしまう力強さが感じられる。その意味で、非常にトリッキーではあるが、「冥府に囚われた娘」が本作の中ではぼくは一番楽しめた。なにか「ゲーム三部作」のころの竹本健治氏のような勢いが感じられる作品です。数日前に書いたこととはまったく反対ではあるが、やはり寡作な作家は素晴らしいものを書くなあと思わされた。