山口雅也編「山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー」

山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー (角川文庫)

山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー (角川文庫)

極めて知的にして、ある種の前衛性を備えたミステリ作家山口雅也氏が、その極端に豊富な読書経験の中から、選りすぐりの短編を選んだアンソロジー

とにかく物凄い。アンソロジーって、選ばれ方が偏っている感じがしたり、頁数の制約上それほど切れがあるとは思えない作品が選ばれていたり、とにかく消化不良な気分になることが多く好きでは無いのだが、本アンソロジーは最初から最後まで、まったく緊張感がとぎれることない極度に密度の高い作品が並び、なんとも形容のしがたい、極めて質の高い読書体験を味わうことができた。本書はそれぞれ異なる主題を持つ6つの章からなるが、最初の「意外な謎と意外な解決の饗宴」だけでも物凄い。まずはじめは、なぜか登場人物が全て道化師やパントマイム芸人であるジェイムズ・パウエルの「道化の町」に度肝を抜かれ、その次には坂口安吾の「ああ無情」を配置する心憎さ!この情念の世界を読み終えたと思えば星新一「足あとのなぞ」が続き、ほっと一息ついたところでP. D. ジェイムズ「大叔母さんの蠅取り紙」は静かで重々しく、最後は町の住人14人のうち12人が殺された状態からはじまるという、いかにも山口雅也氏らしい設定のアーサー・ポージス「イギリス寒村の謎」で締めくくられる。もう、これだけ読んでも大満足なのだが、このテンションが全ての章、全ての小説(一部漫画も含む)に感じられるのだから素晴らしい。僕は寡聞にして「本格ミステリ」なるものが何を指し示すのかよく分からないのだが、本書はある種のジャンルをはるかに超えた、小説の面白さを力強く感じさせる、極めて痛快なアンソロジーを形成している。これは間違いなく個々の作品の力だけではなく、このようなアンソロジー自体の作品性によるものであり、山口雅也氏の恐ろしいまでの偏った教養と編集能力の、見事な結実であると感じられた。また本書の最後にJ. G. バラードを配置するところなど、正直しびれました。山口氏はこの最後の章に「密室の未来」と銘打っているが、バラードの「マイナス1」が書かれたのは1964年である。これは、逆説的ではあるが新しいものには時代を超えた力があることの表れであるとも言えるし、またジャンルは成長してゆくものでも発展してゆくものでもなく、ただただ力強い小説があるのみ、という感じを与えてくれる。このような感覚を味あわせてくれる山口雅也氏の才能には、ただただ敬服するのみ。(山口雅也編、角川文庫、2007年12月、781円)