森達也「死刑」

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑廃止を目指し運動する弁護士、確定死刑囚、「死刑廃止を推進する議員連盟」会長の国会議員、冤罪元死刑囚、死刑執行の現場に立ち会った元刑務官など、死刑に関わる人々や場所を訪ね歩いた記録と、その過程で森が育んだ思索をまとめたもの。

このような題材を本にまとめようとする時点で、著者の態度は死刑制度撤廃を前提としていることは明かではあるが、いつものとおり森はその態度やその態度の理由を含め、単純な説明をすることなしに丁寧に様々な事柄と論理の筋をたどり、ゆっくりと自分と周囲の思考を明確化してゆく。そのため、「人が人を殺すことは良くないことだ。そのため死刑は廃止すべきである」という、僕としては一番直感的に理解しやすく、死刑制度反対の理由になりやすいと思われる議論を、森は一切行わない。まず死刑制度賛成論者の論拠を丁寧に考察し、一つひとつに論理的答えを求め、結果死刑を継続させる根拠は何もないことを確かめる。その上で、それでもなぜ、死刑を廃止しようと大多数の人は思わないのか、または思うことができないのかという、極めて本質的な議論に切り込んでゆく。本書の圧巻は、犯罪被害当事者でもある全国犯罪被害者の会の幹事とのインタビューである。ここでの森の議論は、犯罪被害当事者の言葉に比べ、なにか弱々しく、まわりくどく直感的には理解が難しい。むしろ、加害者に死刑を望む幹事の言葉は、極めて力強く、胸を打つ。しかし結果的には、(本書の記述から理解できる範囲においては)両者がどちらとも死刑に対する議論や感情のある部分に、割り切れ無さを自覚していることが明らかになる。これは、立場によらず本書に登場する多くの人々の声に共通する現象でもある。この「割り切れ無さ」に、おそらく死刑制度の本質があり、その制度の存続または廃止の議論の基礎があることを、本書は静かに語りかけている。印象的だった一節に、世界は当事者性ではなく、他者性によって成り立っているという森の言葉がる。「当事者の気持ちになって」という言葉がどれだけ暴力的かということでもあるが、一方でその「他者性を理解する」ことの難しさと言うことが、上記の「割り切れ無さ」に象徴的に示されていると、この一節を読んで強く感じた。

というわけで本書にはとても感銘を受け、素晴らしい本だと思ったのだが、1点だけ、全体的な叙情的雰囲気というか、著者のインタビューの再現の手法のあまりの感傷的な雰囲気には、多少違和感を感じたことも確かである。「放送禁止歌」や「職業欄はエスパー」の文章は、より対象との距離を測りつつ冷静に構築されていたように思うのだが、気のせいだろうか。題材が題材だけに非常に気になった。