柳広司「漱石先生の事件簿 猫の巻」

漱石先生の事件簿―猫の巻 (ミステリーYA!)

漱石先生の事件簿―猫の巻 (ミステリーYA!)

吾輩は猫である」の世界を舞台として、あの登場人物達が繰り広げる日常に生じるいくつかの出来事の謎を、主人公である語り手の「書生」が解きほぐす、連作短編集。

おそらく中高生をターゲットにしていると思われる理論社の「ミステリーYA!」のシリーズは、子ども向け書籍の例に漏れずとても細やかに作られた良書となっていて、ペーパーバックであんまり重くないところからフォントの美しさ、装丁の見事な雰囲気まで、全てが素晴らしい。そして何よりも素晴らしいのはあまりにも豪華な執筆陣なのだが、山田正紀氏の次に心待ちにしていた柳広司氏の新作は、やはりどことなく異常さを感じさせるとても良い作品で、とても嬉しくなってしまう。漱石作品を材にとった物語と言えば、奥泉光氏の「吾輩は猫である殺人事件」や水村美苗氏の「続明暗」などが思い出されるが、漱石文体模写、もしくは漱石の世界観を模写しようとする人というのは、これがまた文章の名手である場合が多い。「贋作「坊っちゃん」殺人事件」で漱石の世界をどことなく謎めいて不穏当な具合にパロディーとした柳氏は、その例に漏れずこれまた文章の雰囲気が最高なのだが、今回はうってかわって明るくあっけらかんとした物語を仕立て上げている。内容的にはおそらく「日常の謎」という、基本的には大して面白くもないことに関する疑問を解き明かしてゆく形式なのだが、この形式が持つ極端な保守性と説明の理不尽さを、柳氏は見事に漱石の世界の理不尽性と落ち着かない雰囲気に回収し、その気になって読めばずいぶんと重くて暗い物語に仕立て上げているとことが素晴らしい。子ども向け書籍らしく、それでも軽さと明るさは忘れられてはいないのだが、それでも文章と所々に見られる柳氏らしい不安な感じは、やはりとっても面白い。さて、来月は芦原すなお氏の新作が出版予定である。この人も、穏やかな形式の物語を不穏な雰囲気で充満させることが非常に上手な人なので、大変楽しみです。