森見登美彦「太陽の塔」

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

ふられた女性に「研究」と称するストーキング行為を行う休学中の大学4年生(本文中では休学中の大学5回生と表現されている)を主人公にした、軽い倒錯と韜晦に満ちた青春小説。

「新釈 走れメロス」が実に知的かつ見事に文学的な作品であったので、とても感心してデビュー作を読んでみた。本作が出版された時の評判は何となくは知っていて、どれも暗い大学生活を送る大学生の妄執に溢れた自己陶酔的物語みたいな感じだったように思う。そのころと言えば自分は暗くて辛いサラリーマン生活を送っていたので、とても精神的に耐えられないと思い、良作を数多く輩出している日本ファンタジーノベル大賞受賞作ながら手に取ることができなかった。それから幾年月、周囲の環境も自分の状況も変化し、相変わらず不安定ではあるがある程度の心の平安と落ちつきを取り戻してようやく読んでみたわけだが、一番の感想はよくまあ本作にファンタジーノベル大賞を受賞させたなあと言うものである。審査員の慧眼に対する大いなる敬意を表したくなるとともに、ファンタジーノベル大賞って最近の文学賞の中でもずいぶん質が高いなあと感心した。本作は基本的には、まったくもって素敵ではない大学生が、その素敵ではない日常を独白の形式によって素敵に飾り上げた小説である。その大仰な言葉遣いは、現実(という表現はとても難しいが)を直視しまいと必死で試みる主人公の、ある種悲痛な叫び声のような趣きすら感じられる。一方で、その非現実的な主人公の視線は、ある瞬間現実すらをゆがめ、そのゆがみに切れ目を生じさせることによって、この世のものとは思えない世界を立ち上らせる。最初はなかなか痛々しい物語だなあと思って読んでいたのだが、途中からこれはかくも理不尽な現実の一つの脱構築の手段であり、当たり前たる「現実」を痛快に皮肉った物語なのではないか、逃避の物語なのではなく、積極的な冒険の物語なのではないかと思いしたのである。と同時に、こんなことを感じてしまった自分と自分を取り巻く環境に、一抹の不安を感じてしまったこともまた確かなのではあるが。それはそれとして、本作はその言葉遣いと文章の切れ味も素晴らしい。また、登場人物達の造形も見事である。特に高藪智尚氏に対する描写など、とても実在していないとは思えないリアリティーが感じられる。この辺りの微妙な雰囲気にも、現代の小説には珍しく物語の構成自体に批評的な態度が感じられ、好感が持てる。巻末の本上まなみ氏の解説は、中学生の感想文的で大変に残念だった。