斎藤美奈子「それってどうなの主義」

それってどうなの主義

それってどうなの主義

日の丸の取り扱いにはじまりサヨクとウヨク、例の「感動した!」のあれ、拉致と連行など政治的事柄からNHK番組に見る男女対抗戦の謎や川端康成の「雪国」における標準語使用の不思議さなど、著者が「あれっ」と思う事々を捉え上げてそのおかしさを論じたもの。

一つのトピックが2頁から3頁で語られているため、全体としての項目数は80にも及ぶ。トピック自体は、ものによってはまあよくもこんなどうでも良いことが気になるもんだとか、これが気になるのならば毎日相当数のことが気になってしまうのではないかと考えてしまうようなこともあるが、全体的には非常に鋭い洞察力と繊細な感受性に裏打ちされた、極めて豊かな視点と説得力のある主張が繰り広げられている。読んでて思うのだが、この人の魅力は、たとえそれが乱暴な口調であっても、きちんと言い切るところにある。素人の出演者をその道のプロが罵倒する番組を評して曰く、「感動のドラマや人助けの皮をかぶっているけど、コロッセウムで奴隷とライオンの殺し合いを見物するのとどこがちがう?そんなやつらに限って、片一方では学校の「いじめ」を問題視して、もっともらしく憂いてみせたりするのだから何をかいわんや。」こんな感じなのである。「〜なのではないだろうか」とか、「〜を考えてみてもよい」など、宙に消えて無くなる形の無責任な言い放しが、この人の文章には無くて良い。一方で、これだけの違和感の表明をずっと読んでいると、ふしぎなことに「結局だからどうしたのだろうか」、と思えて来てしまうのである。一つひとつはなるほど納得の主張であり、僕も大いに賛成するのだが、だからどうしたのだろうか。基本的には斎藤氏は現在の「傍観者」であることを標榜しているが、ここにはなんというか、村上春樹的無メッセージ性のようなものが、感じられてしまうのが面白い。いや、当然一つひとつの主張のメッセージ性は強く感じられますよ。でも、それをこのように表明することが、一体なににつながったのだろうか、と考えてしまう。僕みたいに勇気無く何もすることができない人のガス抜きに消費されるだけで終わってしまいはしないだろうか。むしろ、このおかしな世界の潤滑油になってしまってはいないだろうか。そんなことを考えた。