松尾由美「九月の恋と出会うまで」

九月の恋と出会うまで

九月の恋と出会うまで

旅行代理店に勤める20代の女性主人公は、不思議な雰囲気を持つおじさんが大家の小さなマンションに引っ越すのだが、その部屋の天井近くのエアコンダクトからは奇妙な声が聞こえてきた。その声に導かれるように隣人の尾行を始めた主人公は、その隣人の奇妙な振る舞いや熊のぬいぐるみの発話など、非現実的な出来事に襲われることになる。

適当にまとめたためか、なんだかホラー小説のようにも思える粗筋だが、これはおそらく恋愛小説なのである。それもミステリーとSFで味付けられた。さすが松尾由美氏と言うべきか、非常にあっさりとして淡々とした筆致の中に、浴訳の分からぬ設定で味付けされた非現実的な描写がぬけぬけと差し込まれ、なんだかとっても平静な気分で極端に非現実的な描写を読まされているところがとても楽しい。しかし、最近氏の文章と物語の振れ幅は、なにか縮小傾向にもあるような気もして、本作では「スパイク」を読み終わった時のような、心がとろけるようなカタルシスを感じることはなく、まあ良い話でしたという程度の感想が心に浮かんできてしまったのが残念だった。おそらくそれは文中でも描かれるように、ある意味一般的な、つまりあまりぱっとしない男女の恋愛話、というか、つまりとても普通の人々の普通の心の揺れ動きが本作の中心だからかも知れない。そう考えると、なにかやはり特別な輝きがある気もしてはくるのだが。「雨恋」のように過度に湿っぽいこともなく、「ピピネラ」のようにねっとりと暗い心が感じられることもなく、雨上がりの後のような気持ちの良い小説でした。