工藤庸子「宗教 vs. 国家 フランス<政教分離>と市民の誕生」

宗教VS.国家 (講談社現代新書)

宗教VS.国家 (講談社現代新書)

なぜフランスという国家が厳しく宗教と政治を分離するに至ったのか、フランス近代史をたどることでその骨組みを示し、同時に「レ・ミゼラブル」などの小説からその実際のあり方を読み解いたもの。基本的にフェミニスト的な読みが展開される。極めて丁寧でわかりやすく書かれた良作であり労作。

タイトルの趣は歴史的、文化的な研究書のようだが、これはれっきとした文学の「読み」に関する本だった。著者は「はじめに」で言う。



「妙な言い方かもしれないが、わたしたちの世代は文学作品をきわめて文学的に読んできた。(中略)しかし考えてみれば当然のことながら、レアリスム小説の野心とは、まさに同時代についての厳正にして全体的な証言者となることだった。(中略)そこで今回は、文芸批評などにはこだわらず、小説を率直に読んでみる。テクストに書かれていることを確認してゆけば、歴史学社会学の文献には描かれることのない、生きた人間たちの心情や生活が、おのずと見えてくることだろう。」



このようなとても清々しい前口上とともに、著者はジャン・バルジャンの逃亡生活の中に当時のカトリックと修道会の違いを、宗教と政治の融合と対立を、宗教からの自由のための生活の不自由を、宗教的道徳から離脱するための教育の最重要課題としての道徳の扱いを、いとも鮮やかに描き出す。例えば、あるフランス人が日本の人権啓発のポスターにマザー・テレサが起用されているのを見て、いささか混乱したというエピソードが本書の冒頭に挙げられているのだが、著者は最終的にこのフランス人の違和感がどのようなところから発したと考えられるのか、その時代に書かれた文章を傍証としながら説明し、「宗教」から「人権」を独立させるための長い道のりを、そして「宗教」を最も表象するカトリック教会に属するマザー・テレサと人権啓発ポスターに生じる違和感を解き明かす。そしてこの議論について、学校教育におけるスカーフ着用を禁じたフランスの条例について、その是非はともかくその背景を知るためにも必要だと、著者は論じるのである。

また非常に面白かったことは、政教分離が推し進められた第三共和制の初等教育の科目を定めた法律に置いて、筆頭に位置するのが「道徳と公民教育」であったと言うことである。これは教理問答的宗教科目が学校教育で禁じられたことに対応するもので、いわば宗教の影響を教育を排除するために設けられた策であった。この具体的な内容については実のところ宗教的「道徳」とあまり変わることはないのだが、一方で神に準拠しない道徳としての位置づけには、それまでの道徳とは大きく意味合いの違うところがあり、そこが日本人には理解が難しいのではないかと著者は述べる。

このような丁寧な議論にはそれ自体非常な説得力と心安らぐものがあり、最近各所で繰り広げられる、非常に思慮が浅く品のない道徳論と比べて読んでみると、やはり感情的で思考が無く、思いこみでなされる議論では、とても道徳や宗教を語ることはできないと、深く納得するのである。