柳広司「黄金の灰」

黄金の灰 (創元推理文庫)

黄金の灰 (創元推理文庫)

オスマントルコの辺境の地でトロイアの遺構の存在を確信し発掘作業を進めるシュリーマンは、次々と不可解な事件に襲われる。それと時を同じくし、シュリーマンは黄金を発見したと宣言するのだが、その黄金が失われ、そして殺人事件が発生する。そして事件は黄金とトロイアの存在、そしてオスマントルコの政治的な状況を巻き込んだ、極めて錯綜した状況に発展する。

柳氏は、物語をミステリとして描いてはいないのではないだろうか。ここで問題とされるのは、果たしてトロイアとその黄金は存在したのかという問題に象徴される、異なった物語が異なった人びとの中で「現実」化されると言うことであり、それはトロイアの存在のみならず、言葉と文化の違い、風俗と風土の違い、そして人間そのものの存在への問いへと還元されて行く。この小説がとてつもなく刺激的であり面白い点は、柳氏がそれらの問いを収束させることなく、脱構築に次ぐ脱構築を繰り返し、読み手ももはや何が「真実」なのか、さっぱり分からなくなった時点で、やおら物語を展開させ、事件を解決させ、なにか不思議な収束を見せるということなのかもしれない。でも、やっぱりわからないことはわからないままで、むしろ世界は脱構築されたままで放り出される。それはおそらく世界のあるべき姿、または世界は実はそのように存在しているのかも知れない、ということを、虚構そのものであるミステリ小説に語らせるところが、筆者の筆の鋭さ、思考の深さであり、物書きの業の深さでもあるような気がする。とにかく、現代の書き手では間違いなく、最も深い思考を極めて明確に文章で表現している人であると思う。別にあまり深く考えずに読んでも面白いから物凄い。