山田風太郎「明治十手架 上下 山田風太郎明治小説全集」

幕府の元与力である青年原胤昭は石川島での官吏の横暴や囚人達の悲惨な境遇を目の当たりにし、官職を捨て出獄した人びとの生活支援事業を始めるが、原を目の敵にする看守達からあれやこれやの迫害を受ける話。

これぞまさに物語、という物語でした。老齢を向かえた原の問わず語りの形式を取るこの物語は、原の青年自体における波瀾万丈の境遇を主題としながら、そこに人間の業の深さやキリスト教にまつわる不思議な出来事、そして悪人達がどのように悪人となり、そして原の周囲を行き来するうちにどのように人間としての心が再び洗われるかと言うことを、執拗にまた細密に描き出す。基本的には元囚人を救済する原に陰謀をしかける看守達と原の対決を描いた物語なのだが、そこに原を援助するドクトル・ヘボンキリスト者である姉妹、そして苛烈な過去を持つ囚人達が立ち現れ、ある時は囚人の過去が、ある時はキリスト者の姉妹の物語が、そしてある時はドクトル・ヘボン岸田吟香らの物語が語られるという、極めて重層的で多声的な構成を持つ。これが全く陰鬱とした物語に収束して行かないのは、最終的には風太郎らしく二手に分かれた人びとが殺し合いを始め、忍法帳的狂騒的なトーナメント戦に流れ込んでしまうためか。しかし、この密度、スピード感、物語の起伏、どれをとっても非常に新鮮で瑞々しく、これぞ物語という気持ちを読みながら感じ続けることができた。解説の清水義範氏は、冒頭で以下のように述べている。「「明治十手架」のような小説に解説はいらない。こんなに面白くて、読みだしたらやめられず、読み終わってまだ頭の中がグワングワンと騒いでいるような小説に対して、どんな解説ができるというのだろう。こぢんまりと説明してしまっては作品に対して失礼という物だ。ただ読めばいいのだ。読んで引きずりこまれ、圧倒され、時々あきれかえり、面白さに奔弄されるだけでいい。」確かにその通り。ただただ、圧倒されました。