浜井浩一、芹沢一也「犯罪不安社会 誰もが「不審者」?」

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

「凶悪犯罪の増加」や「子供の犯罪の増加」、ひいては「日本の治安が低下している」という言説が全く根拠が無いということ、またそれによって生じた法制度改革などにより、日本はむしろますます受刑者数が増加する可能性があることなどを、犯罪学者と社会学者の二人が論じたもの。

議論は極めて論理的に組み立てられ、読んでいるだけで気持ちがよい。全四章からなり、第一章と第四章を犯罪学者の浜井が、残りの第二章と第三章を芹沢が論じるのだが、まず第一章では犯罪の増加という言説が全く統計的根拠が無いことが論じられる。主な論拠は、犯罪の検挙率とは、犯罪の検挙数を犯罪の認知数(警察が取り上げた件数)で割り込んだものだが、実際に生じている犯罪は認知件数以外にも存在し(暗数と呼ばれる)、昨今の検挙数の低下は全体的な犯罪数を云々するものではなく、単に警察の方針の変化により認知数が増加し、暗数が減ったためだとする。犯罪の総数や暗数の予測方法などの説明が欠如しているため、やや「説明」しているにすぎず「実証」していないのが気になるが、それは紙面の都合だろう。ここまで緻密に論じているのならばバックデータもきっと存在するはずだ。ここで頷かされたのは、「犯罪の恐怖」と「実際の犯罪被害」とは全くの別物であり、前者によって後者に関わる政治判断を行うことは間違っていると言うことである。第二章と第三章では芹沢により、宮崎事件から現在に至るまでのメディアでの犯罪の語られ方が論じられ、その視点が加害者から被害者へと転換して行く中で、加害者が「悪魔化」していったこと、並びに加害者に対する厳罰化、また「割れ窓理論」を援用した、排外的、排斥的にもなりかねない「安全・安心のまちづくり」運動が批判的に語られる。第四章では再び浜井により刑務所の実情が語られる。その中で、受刑者が高齢者や精神障害者など、いわゆる社会的弱者である率が高まっていることに注目した筆者は、「安全・安心のまちづくり」のような、極めて排他的で「他者」を無条件に排斥する思潮が、翻って単に社会的に適応する機会のが少ない人びとからますます社会参加の機会を奪い、結果として刑務所にたどり着かせているのではと推測する。かくのごとく、極めて説得力があり筋の通った議論が展開されていて、理解するだけでも非常に心休まる時間を過ごすことができた。おのおのの議論には、新書というメディアのためか論拠の示されていない点や議論の荒い点もあるが、全体としてこの問題を理解しようとするためには、極めて有用な書物になっている。いつ「不審者」と名指しされてもおかしくない生活を送り、「安全・安心のまちづくり」には人間を疎外させようとする試みしか感じられない僕にとっては、とても納得が行き頷けるところの多い本でした。