J. G. バラード「時の声」

時の声 (創元SF文庫)

時の声 (創元SF文庫)

人間の睡眠時間がだんだんと長くなりついには昏睡状態に陥るという奇病が蔓延する世界で、なぜか宇宙からの不可解なカウントダウンを受信する表題作を始め、残留した音が聞こえる世界で音響清掃を営む青年と往年のプリマドンナの話、意識的に自我を混濁させることを思いついてしまった男の話、企業の保養所の山荘でドッペルケンガーを見てしまった男の話、眠らない人間の実験中の事故の話、宇宙の僻地で不思議なメッセージを見つけてしまった人びとの話、みんなが火星に移住してしまった地球に残った男の話の、短編を7編収録。

これも創元文庫復刊フェアで復刊されたもの。バラードは現在もしっかりとした創作活動を継続中だが、このような初期の作品にはなんとも不思議な力強さと危うさがともに感じられ素晴らしい。このような作品を復刊する創元社には、是非今後も頑張って頂きたい。というものの、この作品集はバラードの作品集の中ではおそらく一番つまらない。「音響清掃」や「マンホール69」など、極めて有名な作品が収録されているのだが(そしてバラードというとこれらの作品しか知らない人もいるとは思うのだが)、残念ながらあんまり面白くない。ちょっと短絡的にすぎるというか、あの物語の輪郭が主人公の自我とともにだんだん崩れて行くような儚さがあまり感じられず、物語の展開に文章が引っ張られてしまっているような感覚がある。あと、訳文がさすがに硬すぎる。この訳文は、合う小説には合うのだけれど(つまり質は高いのだけれど)、「音響清掃」のような基本的にはロマンティックな物語には向かないなあ。しかし、やはりバラードはかっこいい。書き出しもいいんだよね。「時の声」では「あとになって、パワーズはしばしば、ホイットビーのことや、この生物学者がからのプールの底一面になんという意味もなく彫ったらしい奇妙な溝のことを考えた。」「重荷を背負いすぎた男」では「フォークナーは徐々に発狂していた。」いいなあ、素敵だなあ。