五十嵐敬喜、小川明雄「建築紛争 行政・司法の崩壊現場」

建築紛争―行政・司法の崩壊現場 (岩波新書)

建築紛争―行政・司法の崩壊現場 (岩波新書)

最近の構造計算偽造事件を始め、分棟されたマンションを渡り廊下でつなげ一棟で申請する脱法行為や地下室マンション、国立の景観論争など、法律家の立場から現在の建築確認申請とそれにまつわる行政・司法のあり方を厳しく批判したもの。

なるほどなかなかもっともで、大変参考になった。概略としては、住宅政策が国によるものから民間によるものにシフトして行く中で、制度の間隙をついた様々な問題が生じ、しかも確認申請を民間開放することでよりいっそう事態が悪化している。一方で建築基準法都市計画法に詳しい裁判官はほとんど存在せず(ほんとうかどうかは知らないが)、しかも街中の常識にも裁判官は詳しくない。それゆえ非常識的で業者優先的な判決がまかり通り、そのおかげで街の景観は破壊され住民が健やかに暮らす権利が侵害される。このような議論は、裁判官の資質(これは分からない)以外については非常に納得でき、一方で、建築の(設計)業者の視点からは、著者達の意見も多分にナイーブにすぎないと感じてしまうこともある。おそらく府中の事例はずいぶん極端だと思うのだが、基本的に土地の値段はそこに建てられるもので決まってきてしまうため、業者はぎりぎりまで法律を研究し、最大限の利用を考える。そこで他社より優れた提案をできる業者が受注をできるのであり、これは一つの企業の技術でもある。そしてこれは決して民間マンションだけに適応されるのではなく、基本的には営利行為を極端には追求しない福祉施設(たいていの場合国が建設費の50%、地方自治体が25%負担する)にも当てはまるのである。僕も某区の介護老人保健施設の設計では、極めて技術的な法律的解釈を行い一つの建物を成立させるという手法を使ったが、その技術無くしてはそこに老健が立つこともなく、おそらく民間のマンションが建っていたはずだ。これはルールに則ったある意味純粋な「企業努力」であり、そのようなことも脱法行為に当てはまってしまうのだろうか。これは法律というルールに則って行われるものである以上、その不整備(と制度運営上の手法の問題点)こそが問われなければいけないのでは無いだろうか。業界の体質の問題と言われればそれまでだが、体感的には設計業界は暴利をむさぼるような業界ではなく、むしろ極めて低い、生活して行くのにやっとな給料で暮らしていると思うのだが。また、一級建築士の勉強をしたことのある人は誰でもが分かると思うのだが、建築基準法都市計画法など、建物にまつわる法律は極めて難解でわかりにくい。相互参照ばかりで読みにくいことこの上ない。マンション屋を叩くのも良いが、法律家にはきちんと法整備を行ってもらいたい。また、景観に関する意見もナイーブにすぎるのではないかな。国立の場合はそもそも市が全体的に容積率を見直すという動きがあった中で、東京海上が土地を売却したと思うのだが。しかも市議会は全く迅速な条例整備をせず、今のままの景観が守られて当たり前と思っていた節がある。市議会の反応の遅さは、先日の国立駅駅舎保存問題にもはっきり現れていた。景観を守りたいのならば、その努力も必要なはずであり、「当たり前」に「誰かが」守ってくれる、という態度ではおそらく不十分なはずだ。建築基準法にはきちんと「建築協定」という制度があるのだから、法律に則って景観を守ることもできたはずだ。だいたい「閑静な住宅地」に住んでいる人ほど、過敏に自分たちの利害に敏感なんだよなあ。そういえば、先輩が「閑静な住宅地」に隣接して大学を計画したとき、自分の家の道路の前を小汚い学生が通ることが許せないと説明会で息巻いた住民に、大学の学長が激怒したというエピソードを思い出してしまった。