森達也「下山事件(シモヤマ・ケース)」

下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫)

下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫)

敗戦直後、国鉄の大量解雇の発表を目前に控えた初代国鉄総裁が轢死体で見つかったという「下山事件」の謎に迫るうちに、関係者の綱引きやら謎の言動やら果ては反目と対立の泥沼に陥ってしまった著者である森達也の困惑の書。

今まで読んできた森氏の文章とはなにか雰囲気の違う、ぎこちのない感覚にまず襲われた。なにか仰々しく、彼らしくない。主題が昭和の一大ミステリーといわれるらしい「下山事件」に関することなので、肩に力が入りすぎているのか。大枠は下山事件の新たな証言をもたらした「彼」と森氏が、その証言を元に「下山事件」の内面を明らかにして行くという体裁なのだが、読み始めのあたりは極端に文章が感傷的で、なんとも据わりが悪い。とにかく、「下山事件」がどのように不思議な事件であったのか、実感として感じることができない僕にはなにか全てがお芝居のように見えるというか、大げさに見えてしまう。しかし、中盤まで読み進むとなんだか雰囲気が変化してくる。非常に面白いことに、森氏はどうやら事件の謎解きに興味を失って行く。一方で、逆に事件を中心としてその周囲に立ち現れては消えて行く人間達のあり方に、どんどんとりつかれて行くのだ。このあたりから、俄然面白くなるのである。人間のあり方が非常に人間らしく感じられ、端的に言えば生々しく、荒々しさがほの見えるようになる。森達也氏と言えば、ドキュメンタリーとは決して「ありのまま」を描いたものではなく、そもそもそのようなものはありえない、と言い切った映画作家である。その森氏が描く「事実」が、ありのままであるはずがない。前半に感じられた違和感は、なにか描かれていることが「本当の」ことであるかのような描かれ方であったことに起因するのだろうし、中盤から俄然面白くなってきたのは、おそらく森氏の目の前で起こる出来事が明らかに「森氏の目から見た事実」になってくるからである。物語が終盤になると、この構造はさらに混乱してゆき、もう何が真実でなにが真実でないのか、著者の言葉すらそのオーソリティーを失ってしまう。このような言葉の使い方は、森氏の上手さでもあり周到さでもあるとは思うのだが、同時に書き手として思い切って切り捨てている部分がとても大きく、その潔さは極めて爽快である。他の著書とはずいぶん違った後味が残り、またその後味は決して良くないのだが、それでも面白い作品でした。