クリストファー・バックリー「ニコチン・ウォーズ」

ニコチン・ウォーズ (創元推理文庫)

ニコチン・ウォーズ (創元推理文庫)

アメリカのタバコ業界のロビー団体「タバコ研究アカデミー」の主任スポークスマンであるニック・テイラーは、その巧みな弁舌と詭弁すれすれの痛々しい論理構成で反タバコ論者を煙に巻いてきたが、ラジオ番組ではニコチンパッチによる殺害予告を宣言され、アカデミー内部での権力闘争にも巻き込まれ、唯一の楽しみは銃と酒の生産者団体のスポークスマンと笑えない冗談を言い合うことだったのだが、ある時本当にニコチンパッチで殺されそうになり、しかも権力闘争にも本格的に巻き込まれ、人生が大きく傾く話。

痛快にして爽快、しかも後味はタバコを吸いすぎた時のようにあまりすっきりとしたものではなく、なんとも不思議な雰囲気を残す。物語の進行において、読み手は主人公の口からいかにタバコの害に対する報道が一面的、もしくは虚偽に満ちたモノであり、その妥当性に疑いがあるのかを極めて説得力のある手法でもって聞かされることになる(まあ、その妥当性は疑問符付きであることは間違いないのだが)。同時に、主人公の目を通して、読み手はタバコに反対する人々の非理性的な言動やヒステリックな有様を嫌と言うほど見せつけられる。ああ、おれはタバコを吸っても問題ないのかなあとあやうく思ってしまいたくなるくらいだ。しかし、物語は結末直前になってぐるりと展開し、思いも寄らぬ「転向」を主人公たちは行うことになる。ここにいたって、作者の高笑いが頭上から聞こえてきそうな気がするのだが、つまりはどちらの立場も笑い飛ばすことこそ作者がしたかったことなのか!と気づかされ、悔しい気もするが極めて爽快、なんとも読後感のよい素敵な本でした。これはある種の「タバコ・イデオロギー」の脱構築的解説本で、その極端をどちらの立場からも内側の視点から笑い飛ばすことによって、その馬鹿馬鹿しさと虚しさを否応なしに見せつけるという、なんとも芸の細かいことをしている。しかし、結局のところ何が残ったのか、との疑問は、この手の脱構築的手法を用いた著述に必ず感じてしまうところではなるのだが、まあ、とても面白かったからいいや。文章も訳文も素晴らしく、リズム良く切れも良い。冗談がことごとく笑えないのも素晴らしい。もう十年も前に書かれた本だが、その内容の輝きが全く衰えていないのも、作者の慧眼の表れだろう。文庫で1000円はちょっとぐっとくる高さだが、その価値はある。少なくともタバコ3箱分よりは価値がある。