マイクル・Z・リューイン「内なる敵」

内なる敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

内なる敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

人生に極めて受け身な態度を持つ私立探偵アーサーの元に、自分の書いた脚本を取り返してほしいという依頼が入るのだが、調査を始めたとたんに当然その依頼は嘘だとわかり、結果的には離婚を認めない夫と別れたい妻、そしてその妻の同姓相手との三人の争いに巻き込まれることになる。そして夫が雇った私立探偵に銃を突きつけたり突きつけられたりしているうちに仲良くなり、彼の実家に呼ばれパーティーにまで招待されているうちに事件は拡大し始め、最終的には雪道を疾走する車のボンネットにしがみつく羽目になる。

表紙の折り返しに書かれた登場人物の数はわずかに8人、そのうちの2人は主人公とその友人でシリーズ主要キャラクターの警部補、つまりこの物語は基本的に6人程度の登場人物で推移する非常にシンプルな構成をとる。また、物語自体も極めて地味、というか華やかさに欠け、これといって派手な事件や盛り上がりが起こるわけでもなく、みながそれぞれ突き続ける嘘がページをめくるに従いだんだんと明らかになって行くだけの、何とも単調なお話なのである。舞台も冬のインディアナとシカゴを行ったり来たりするだけ、普通の会社員の日常報告を聞いているようなゆるやかな気分になれる。しかし、これがまた信じられないくらいに面白かった。淡々としていて微妙なディテールだけが盛り上がる要素だとは思うのだが、まさに読み出したと思ったら異常なまでのスピード感で読み続けるしかない、麻薬的な魅力を持つ物語でした。おそらくこの淡々とした中にきめ細かく挟み込まれた物語の要素が形作る細かなリズムが、全体として大きな物語のうねりと力強さを知らずに構成しているためなのだろうか。とにかく作者の物語を語る才能と力量に感服するしかない。また、細かな描写がとてもよい。例えば終盤主人公が逃走する車のボンネットにしがみついて冬のインディアナを失踪する場面。「そのとき、犬をつれて歩いている男の姿が目に入った。「助けてくれ」わたしは二度叫んだ。犬はちらっとこっちを向いたが、男はふり向きもしなかった。」とにかく、小さく刻まれたセンテンスの脱力感が気持ちよく、またリズムが力強い。翻訳者の力量も相当なモノなのだろう。このシリーズの中では、最も好きな作品の一つです。