久間十義「聖ジェームス病院」

聖ジェームス病院

聖ジェームス病院

西荻窪の北、井草八幡周辺にある「聖ジェームス病院」は、地域中核病院となるべく(杉並には公的大規模病院が存在せず、救急救命医療拠点もない)設備・施設に投資を続けるが、おかげでスタッフは恒常的に不足気味。そんな病院に研究医として所属する若年の男性医師は、やり手と噂される医局の先輩医師の目の前で担当患者が急変し死亡するという事態に遭遇。その急変には新薬の副作用があったのではないかとの疑問は先輩医師に黙殺されてしまうのだが、そうこうするうちに患者の娘から訴訟を視野に入れた質問状を内容証明郵便で送りつけられる。そんな中、先輩医師のボスでもある某医大の教授と製薬メーカの癒着を軸に事態は進展し、病院内でのMRSA感染のアウトブレイクが混乱した事態に拍車をかける。

久間十義といえば「聖マリア・ラプソディー」で背筋のしびれるような現実と虚構の入り交じったすさまじい世界を見せつけた、まさに神がかった所のある作家だが、最近はメタ・フィクション的手法にこだわることなく、極めてリーダビリティーの高い作品を書いているらしい。以前はほとんど読んでいたものだが、ここ5年くらい読んだことが無く、この本を見つけたのは思えば半年以上前だが、なんとなく病院の内輪話的雰囲気と、底の浅いルポルタージュもののような気がして手に取ることはなく、先日図書館で見つけたので読んでみたのだが、予想を裏切るすばらしい作品でした。全体的な雰囲気から言えば、確かに初期のような張りつめたテンションと虚々実々の中で真実のありようすらを相対化させ、地滑りさせてしまうパワーは感じられないのだが、しかし小説としての完成度が非常に高い。その理由の一つには、物語を戯画化された研修医残酷物語という単純な軸で描ききることなく、やり手製薬会社の重役、医局の中堅医師、地域中核病院をめざす病院理事長、医学部教授など、多くの軸からの多声的な構造を採用したことがあると思われる。面白いのは、絵柄的には最も悪役になりやすい製薬会社重役が、ある場面からは読者の感情に入り込むような、なにか非常に人間的に感じられるキャラクターとして描かれはじめるところである。結果相対化されるのは医療の現場の入口でとまどう研修医であるのだが、その研修医自体も定型的な正義感にとらわれた、まっすぐな人間としては必ずしも描かれていないところが面白い。物語としての単純な筋書きを捨て、重層的な思いと立場、役割を積み重ねるという慎重な手法を取ることによって、物語が非常に「リアル」に感じられるのである。「リアル」と言えば物語の設定も極めてリアルで、荻窪周辺の医療環境に詳しい人にとってはなかなか興味深く読める作品である。日産の跡地に建設された介護老人施設は、そういえば僕も見学にいったなあ。確かに全室個室でユニットケアが導入されていた。「河南病院」など、すれすれ実名の病院が出現するのも、なんだか面白かった。