石黒達昌「冬至草」



癌と共生関係にある魚が癌に冒された娘を救う唯一の救いの手だと確信した父親が、その魚の絶滅も意に介さず壮絶な研究と実験を行う話「希望ホヤ」、唯一残された標本が押し花であった、放射線を発生する不思議な白い花にまつわる発見と研究と絶滅の道筋を、戦中の一人の肢体不自由者の伝記調に綴る「冬至草」、手の上に月が見えるようになってしまった男の日常「月の・・・・」、火の玉を見たと申告してから長くて半年の間に死に至る奇病の、発生と伝播の真相を語った「デ・ムーア事件」、田舎の診療所で働く医師の、妻の死や薔薇や娘や新薬の治験や親友の癌や不思議な隣人や事故による失血死や父親の認知症や抜かない腹水などに揺るがされる日常を描いた「目をとじるまでの短い間」、そしてアメリカの研究機関におけるデータ捏造事件を、その主役となった研究者の奇矯な生き様に焦点を当てて描いた「アブサルティに関する評伝」の中編5作品収録。

作者は現在テキサス大学MDアンダーソン癌センターで助教授として勤務する研究医。そのためか、文章にはなにか論文もしくは研究報告を感じさせる硬くて落ち着いた雰囲気が感じられる。この人の文章と出会ったのはもうずいぶん前で、確か「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに・・・・」を初めて図書館で手に取り目を通した時の衝撃は未だに忘れがたい。この小説は徹底的に研究報告の体裁をとり、写真や図版などもそれらしく配され、新聞記事も引用され、そしてその全てが当然のことながら作者の捏造であった。この、非現実を超現実的に描く手法、並びにその物語の中心をなす事象の徹底した構築の方法は、見事に文章の魔の手に犯されてしまった作者の深い心の闇を感じさせ、とても感銘を受けたのである。その後も次々と似たような手法の作品を執筆し、その全てに文学者としての力強い主張と、また不思議なことに医学者としての鋭敏な感覚が感じられ、とても楽しく読んでいた。ところがその全てはあっというまに絶版となり、数年してハルキ文庫から再版されたと思ったら、バージョンダウンとしか思えない改訂が加えられ、とてもがっかりしたのを憶えている。その石黒氏の久しぶりの新刊が出たので迷わず手に取ったのだが、これは期待以上の喜びを与えてくれる非常に質の高い作品集でした。全般的に専門である癌治療の知識が感じられる、微妙に医学エッセイ的な雰囲気もあるが、その確かな知識と必要以上に構築されてしまった世界を極めて文学的に語る手法は、作品としての質を云々することが不適当かと思われるくらいに完成されている。特に、医師の痛々しくもなにかのんびりした日常を描く「目をとじるまでの短い間」には、なにか現代の梶井基次郎を見るようで胸を打たれる。また、癌にまつわる出来事をある意味狂騒的に描きながら、しかしなにか苦い後味で締めくくる「希望ホヤ」、medlineなど医療系論文データを引用しつつ、医療の世界で起きた一つの事件を、しかし極めて文学的な世界に回収する「アブサルティに関する評伝」も素晴らしい。皆なぜこの人の作品をもっと読まないのか不思議でたまらない。と同時に、なんとなくその理由も分かるのだが。