藤崎慎吾「クリスタルサイレンス 上」



ちょっとした未来、人類は地球環境を汚染しすぎて温室効果が耐え難く増長し、仕方がないので火星への移住を真剣に考え始め、各国が次々と火星を開発しはじめる。そんななか、ギーガーの「エイリアン」を彷彿とさせる甲殻類のような生物の死骸が火星の氷の中から見つかり、各国は極秘裏に研究を始める。日本からは「アスカイ・サヤ」さんが派遣され、こっそり研究を始めるのだが、他国からの攻撃や不思議な火星植物の氾濫など、次々とアクシデントに襲われる。

先日短編集を読んだところ、一作だけとても面白い作品があったので、デビュー作である本書を読んでみた。しかしまだ上巻しか読んでいないが、正直言って下巻を買おうかどうか迷っている。物語はなかなか重厚、張り巡らされた伏線もそこそこ効果的であり、非常に緻密に構成されていることが分かる。設定もずいぶんと時間をかけて練られたらしく、一つの設定を何行も使って説明しているところは、マニュアルを読んでいるようで面白い。しかし、いかんせん文章が楽しくない。リズムもなければ言葉遣いの鋭さもなく、なんともしまりがない。会話文もとても拙く、まあ、理系SFはこんな物かと思われてしまっても仕方が無い。物語は設定と粗筋だけでは始まらないと思うのだが。せっかく時間をかけて文字に目を泳がせるのであれば、その文体、語り口こそが物語の核となるものであるはずだ。その意味で、この文章はまるでアニメの一シーンを思い浮かべろと迫ってくるような、非常に居心地の悪さを感じさせる。あと、何となく思うのは、盛りだくさんなのは良いが、一体何を描きたいのかよく分からない。このような感想を書くと、我ながら何を言いたいのかはっきり分かる必要があるのか、と思ってしまうが、おそらくあるのである。それは、自分が何を描きたいのかどれほど自覚的であるのか、ということに強く関わりを持つ。これはデビュー作であるが故に、力が入りすぎて盛りだくさんになってしまったのかも知れないが、その結果散漫になり、本当になにか書きたいことがあるのかということに、疑問を持たざるを得ないのである。どんどん考えてみると、やはり文章というのは作家が何を参照したか、ということが強く表れるような気がする。本作を読んでいてなんとなく気持ちが悪いのは、この文章には色濃く典型的なアニメもしくはゲーム的表現が参照されていると思われるところなのかも知れない(本当のところはわからないが)。いわゆる「理系SF」に肌が合わない理由(例えばあれとかそれとか)は、この参照されている媒体の非豊かさに原因があるのだなあと、何となく感じる。これに比べると、現在平行して読んでいる石黒達昌氏は本当に素晴らしい。これもハヤカワSFシリーズなのに、ずいぶん違うものだ。ところで突然「ウエットウェア」などという言葉が出てきて驚いた。これはルーディ・ラッカーのコピーなのかしら。それとも「SF」の世界では一般的なのか?もし前者ならば下巻ではミーティも出てくるのだろうか。ラッカー的にぐずぐずと物語が崩れてゆくのなら、下巻も読んでみたいのだが。