スティーブン・J・グールド「フルハウス 四割打者の絶滅と進化の逆説」

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 (ハヤカワ文庫NF)

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 (ハヤカワ文庫NF)

極度の野球好きの古生物学者が、現代アメリカ野球における四割打者の絶滅が、決して打者の技量の低下ではなく、むしろ野球のレベルの全体的な向上に拠るものであるという仮説を説明することで、進化の意味とそのモーメントを論じた本。

これは面白かった。最終的な議論は、進化とは常に「良さ」を伴った前進的な変化ということでは全くなく、むしろ基本的なモーメントとしては局地的な気候への対応しか考えられない、いわば変化の拡大なのである、ということで、その議論の論拠として現代のアメリカ野球が使われている。この議論の反駁対象は、「進化とは常に前進を意味し、その最終過程として人間がある」という議論で、著者はこのような進化=進歩感を一蹴する。その主な論拠は、変化の可能性の「壁」があるところでの個体の性質のばらつきは、時間と共に特異値の絶対値は増加するが、全体としては一つのトレンドを示さないというもので、これを野球で四割打者が「絶滅」したことを傍証に説明してゆく。思うに、この作者は生物学者でもあるが、むしろ議論に政治的な正しさを求める。極めてリベラルな思想家でもある。面白いのは、このような「リベラル」な物の見方が、時としてアカデミックな理論の信頼性を増加させ、また逆に政治的に「正しくない」(進化は神の意志であるというような)議論は、やはり理論の信頼性を失わせてゆくと言うことだ。まあ、信じるところはひとそれぞれで全く問題ないわけだが、先入観と思いこみの持ちようは、研究者としては常に意識的に気を配らなければならないと言うことか。