山田風太郎「明治波濤歌 下 山田風太郎明治小説全集 十」

歴史の波に消えていった明治の人物群像を描いた中編集の下巻。本作では警視総監の川路や井上毅らが巻き込まれたパリでの殺人事件、森鴎外を追ってドイツからやってきたエリス、借金を踏み倒してアメリカに逃げようとする川上音二郎らを主人公として、永井荷風野口英世も顔を出す不思議な物語世界が展開する。

以前も感じたのだが、山田風太郎は明治の群像に過大な評価を与え、一種の英雄として描き出すことを忌み嫌い、むしろ敗戦直後の茫漠とした喪失感に溢れた世界(と想像するのだが)を、維新直後の世界に当てはめ、日本の戦後を描くようなつもりで明治の人物に性格を与えているような気がする。そのため、そこで描かれる人物は決してある種の神秘化された偉人ではなく、傲慢で傍若無人ながら、なにか余人には代え難い魅力を持った人間として描かれる。なぜか最近やたら持ち上げられる野口英世にしろ、描かれるのは彼の借金癖と経歴を詐称してまでの上昇志向、そして一度決めたことは何であろうとやり遂げてしまう強引さである。しかし、同時に描かれる野口の才能と輝きは、その性癖と矛盾している物ではなく、むしろ渾然とした中に一人の人間としての魅力が描き出される。こういう、一筋縄ではいかない人間の描き方、単純化されず理解も難しいのだけれど、なぜかむしろ納得ができ、共感できる物語の作り方が、山田風太郎の素晴らしいところなのです。結局、一つの物語というのは単純な物ではあり得ず、多様な解釈の上に存在する。そのような物語には、むしろ非常に現実的な説得力を感じてしまうのである。というわけでこの小説も傑作でした。