エリザベス・フェラーズ「ひよこはなぜ道を渡る」

ひよこはなぜ道を渡る (創元推理文庫)

ひよこはなぜ道を渡る (創元推理文庫)

招待を受け知人宅を訪れた青年は、招待主が事切れているのを発見、現場は誰かが争った後と血痕があるのだが、死体の状況から見て血痕の発生源は招待主ではない。そこに招待主のビジネスパートナーが訪れるが、明らかに様子がおかしい。この女性と、招待主で死体となった男性の妻、そして以前下宿していた下宿の大家のおばさんなどが入り乱れ、犯人と死体を探すはなし。


エリザベス・フェラーズは以前一度挫折して、途中で読むのをやめてしまった覚えがあるのだが、今回ちょっと書店で立ち読みしていたら、翻訳が非常に見事なのでもう一度挑戦してみる気になった。結果としてはそこそこ楽しめました。さすが1940年代に書かれただけあり、物語は極めて単調、派手さもなく、なんとも小さな世界の中で登場人物たちがうごめくのだが、それはそれで慣れてしまうとそんなに気にもならず、本当に典型的で驚きの無い人物描写にすっかりのめりこみ、何でこの人はこんなに意地悪な発言をするのだろうか、なんでこの人はこんなに人のことに首をつっこむのだろうかと、いちいち登場人物の行いに胸はさざめき、すっかり作者の術中にはまってしまったなあと思いつつ楽しい時間を過ごすことができた。これは、作者の腕の善し悪しもあるとは思うが、おそらく翻訳者である中村有希氏の手腕に拠るところも大いにあるのではないかとも感じた。とにかく、この時代がかった雰囲気を見事によみがえらせた翻訳は、一読以上の価値がある。


それはそうと、最後まで読んで犯人が分かったあとに、なんとも不思議な気分になった。面白かったと書いておきながらこのようなコメントもなんなのだが、極めてどうでも良いというか、馬鹿馬鹿しい気分になったのである。ある種の不思議な状況があり、論理的な筋道に沿って誰かが犯人と名指しされ、結果的にそれが明るみに出る。これだけのことは、実は読んでいて面白いことで楽しいことでも、あんまりない気がする。やはり物語の楽しさは、ジャンルとしての定義にはよらず(当然ジャンルにもよらず)、その物語固有の性質なのだと思うが、このような古典的な「ミステリー」を読んでいると、いかに「ジャンル」というものが固定的で、その構造に物語がよっかかって成立していた時代があるのかが感じられて、それはそれで興味深い。でもまあ、全体としてはとても出来の良い本でしたよ。